2024
5/31(金) -12/31(火)
筑波大学卒業後、新卒で、起業しながら非常勤職員として2015年にNPOカタリバに入職。あらゆる部署のマネージャーから「山田がうちのチームにほしい」と声がかかるようになるまでに、時間はかからなかった。最初から山田は異質だった。愚痴や弱音も言わずに、環境のせいにもせずに、やるべきことを必ずやりきる。それは、彼が就職せずに起業しようとしていたことに起因しているのだろうか?
山田 将平SHOHEI YAMADA
全国高校生マイプロジェクト
カタリバ経歴
2015年4月入職 | 文京区青少年プラザb-labに配属 |
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2016年4月 | マイプロジェクト事務局を担当 1万人の高校生がプロジェクト学習に取り組んでいる未来を目指して全国を駆け回る |
趣味
ドライブ、温泉、音楽・フェス、フットサル
好きな言葉
継続は力なり
なぜ教育に関わる仕事をしようと思ったのか聞かせてください。
山田:
自分が高校生の頃は、決められたルールややらなきゃいけないことを敏感に感じ取ってしまって。楽しくはあったんですが、息苦しく感じる部分もありました。だから、もっと一人ひとりがいきいきできるような環境を作りたいなと、ずっと思っていて。大学卒業後は教員になろうと漠然と考えていました。
でも、卒業を前にこのまま教員になったら自分は子どもたちに何を教えるのだろうかと考えて…高校生がやりたいことを自由にできる場所をつくりたいけど、それを教科の中で実現するのは難しいだろうなと思いました。じゃあどうすればそんな場所がつくれるだろうかと考えて。
まずは、大学を1年間休んで地元の名古屋へ帰り、そこで高校生が自分を表現出来る場を作ってみることにしました。
休学して挑戦することから始めようとするのは、すごい行動力ですね。
山田:
とにかくやってみないと分からないなと思ったんです。それこそ教育関係のNPOにメールを送って、会いに行って、お願いをして断られて…そんなことを繰り返しているうちに哲学カフェをやっている市民サークルの方がチャレンジする機会をくれました。
当時は自分のやりたいことを考えるワークショップを企画していましたが、参加者は毎回2〜3人くらいで。なかなか結果が出ずに悩んでいたときに、自分がやりたいことを見つける大学生向けの合宿に参加してみました。
そのときに教育系の学生団体の人に出会いました。彼らは高校の授業の中に、生徒がマイプロジェクト(高校生が地域や身の回りの課題をテーマに自らプロジェクトを立ち上げ実行するプロジェクト型学習)を考えて挑戦するという授業を届けていました。
僕自身が、休学してやりたいことに本気で挑戦して、でもうまくいかなくて。何かを実現することの難しさを体感したからこそ、大学に入るよりももっと前の高校生の頃から、“やりたいことが生まれたときに実現できる力”を育むことが重要だと思いました。
この時ちょうど休学の1年間も折り返し地点。名古屋を離れて、この学生団体のメンバーとして活動することを決めました。
翌年には大学に戻り、団体の代表を引き継いで、毎週授業をつくるために当時住んでいた茨城から都内へと通い続ける生活を送りました。
ちょうどその後くらいでしょうか?
学生団体の代表をしながらカタリバに非常勤職員として入社し、
2つ同時のチャレンジが始まったのは。
山田:
そうですね。大学4年の4月に代表を引き継いで、この仕事で食べていくために起業しようと思っていました。でも、いきなり売上が立つわけもなく…1円も売上がないまま、どんどん卒業のタイミングが迫ってきました。もちろん、就職しようかとも考えたのですが、でも、僕は納得できないことをやるのが苦手で…かといって、このまま卒業したら、生活していけない…
そんなタイミングでカタリバが文京区でb-labという青少年施設の運営を行うということを知りました。
ここであれば生徒たちに継続的に関わって、創造力や課題解決能力をつけるサポートができるかもしれないと思って、非常勤職員として週3~4日働きながら、学生団体が取り組む活動の事業化に引き続き挑戦することを決めました。
起業の挑戦は成功したのでしょうか。
山田:
なんとか売上をつくろうと、新しい学校に展開しようとしましたが、うまくいかない。自分の人生がかかっているからこそ、どんどん焦ってしまって。もっと前に進めたいという気持ちばかりが先行して、メンバーにいらだってしまったり。だんだん人間関係も悪化してしまう…そんな状態が続きました。当時は本当にきつかったです。
自分の実力不足を痛感しました。今の自分には、起業する力がないと認めるしかありませんでした…。悔しかったです。もっともっと力をつけたいと思いました。
まずはもう少し安定した場所で、自分の納得出来る仕事に向き合いながら、成長することが自分には必要だと思うようになりました。まずはカタリバで、実現したい未来をつくる力をつけようと思い、非常勤職員から正社員になりました。
起業への挑戦と失敗、その経験を経て変わったことはありましたか?
山田:
お金をいただいて仕事ができる喜びを、とても強く感じています。起業に挑戦せずに初めからから就職していたら、こんな風には考えられなかったかもしれません。しかも実現したい未来に近付くために集中して自分の時間を使うことができる。
起業に挑戦したことで知ったのは、経営的に成り立たせることの難しさです。教育現場で妥協はしたくなかったので、良いプログラムを作ってきた自信はありました。でも、それを守るために必要な持続可能な仕組みを作ることができませんでした。
なので、いま取り組んでいるマイプロジェクト事務局の仕事をする上で考えているのは、生態系を作るということ。高校生が「これを実現したい」「こんな問題を解決したい」と思ったときに一歩踏み出して挑戦ができて、アクションを支える環境が持続可能なかたちで日本中にあること。そんな仕組みを作れないかと日々考えています。
そのためにも高校生を支える“伴走者”のサポートもしていますし、多様な挑戦事例を全国へとしっかりと発信して、マイプロジェクトが行政や高校のカリキュラムの中でしっかりと文化や仕組みとして根付くことを目指しています。
今はどんな目標を持って仕事をしていますか?
山田:
まずは2020年に1万人の高校生がマイプロジェクトをやっている状態を作ることを目指しています。カタリバへ入職した当初、マイプロジェクトに参加している高校生の数は100人弱でした。それを100倍に伸ばすという挑戦です。自分の力が試されていると感じます。
でも、1万人に届いたとしても高校生全体で考えると1%にも満たない数字です。日本には300万人以上の高校生がいますから。「それで十分なんだっけ?」とは常に自問自答をしながら仕事をしています。
教員になろうとしていた学生の頃には、
思いもしなかった挑戦をしているのではないでしょうか。
山田:
学生の頃は、自分が場をつくることを考えていました。今は、場をつくる人や環境を増やすことを考えています。子どもたちと直接接する時間は減りました。でも、いまは社会の構造や制度にも目を向けながら、より広い視野で、日本中に高校生が自由に挑戦できる生態系を作るために何が必要かを考え続けています。
起業を目指していた時は、どうしても一人で挑戦をしている感覚が拭えませんでした。フィードバックをもらえる機会も少なくて。でも、いまなら仲間がフィードバックや励ましをくれます。こうして組織に所属して仕事をして、自分よりも優秀な仲間に囲まれて仕事をすることの大切さに気付かされました。
もちろん、とにかく力をつけなければと思ったあの時の悔しさは今も忘れていません。だからこそ成長に貪欲に、高い目標に向かって走り続けたいと思っています。
これからは、自分が良いと思うものや大切だと思うものを守ることができる、経営基盤をつくっていきたいです。起業しようとした時は、それがうまくいきませんでした。
今度こそ、自分の力で、高校生が自由に挑戦できる「マイプロジェクトの持続可能性」をつくりたいと思っています。
(おわり)
元サッカー部で、今でも休日にはたまにフットサルを楽しむ
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