震災から6年、木碑プロジェクトの今 (後編)~初の木碑建て替えとこれから
2011年、東日本大震災で大きな被害にあった岩手県大槌町。認定NPO法人カタリバは、子どもたちの放課後の居場所「コラボ・スクール大槌臨学舎」を開きました。その生徒だった吉田優作さんは、現在、千葉県で防災について学ぶ大学3年生です。
優作さんは高校生のときに、後世の人に震災の記憶を伝えるため「木碑プロジェクト」を発案。カタリバは地域の方々と一緒に、彼の思いを全力で応援してきました。震災から6年、彼の歩みと今の思いについてうかがいます。
木碑プロジェクトとは、震災を経験した高校生が「震災の記憶や津波被害への教訓を後世の人に伝え続けていくためにはどうすればよいのか?」というテーマを考える中で生まれたものです。
木碑は石碑と違って、年月がたつと文字が薄れたり朽ちてしまったりするため、長持ちしません。だからこそ、定期的な建て替えが必要になります。その「建て替える」という作業を地域の人たちと一緒に行うことで、人々が定期的に震災の記憶を呼び起こし、忘れずに伝え続けることができるのではないか。そんな思いで進められました。
「防災を学ぶ」大学への進学
2013年3月11日、高校1年生のときに木碑プロジェクトを実行した吉田優作さんは、その直後に現在の進学先である大学を見つけました。高校に入学した頃は、卒業後は就職するつもりだった優作さん。そのときまで大学への進学は全く考えていなかったと言います。
「高校1年生の終わりごろ、先生から配られた大学の資料を眺めていたら、今の大学の『危機管理学部』という文字が目に入ってきました。ちょうど木碑プロジェクトで防災に興味が湧いていたところで、その学部では防災や防犯について学ぶことができ、専門の先生もいらっしゃる。これは面白そうだと思ったんです」
先生や両親にも相談したところ「お前だったら行けるんじゃないか」「がんばってみたら」と応援され、就職から進学へ進路変更。2015年に大学に入学しました。
震災であらためて決意した「消防士」の夢
優作さんがその大学を気に入ったのはもうひとつ、「学生消防隊」の存在がありました。学生消防隊は大学のボランティア団体で、イベントのときに警備したり、防災に関する広報活動などを行っています。幼い頃から消防士に憧れていた優作さんは、こうした環境で幅広く学ぶことで、いろんな災害に対応できる消防士になれるのではないかと思いました。
「小さい頃はたぶん『消防車に乗りたい』くらいの気持ちだったと思うんですけど。それでも震災の直後は迷いました。人を助ける仕事がしたいと思いつつ、震災の厳しい現実を目の当たりにしたからです。自分の命を危険にさらして実際に犠牲になった人もいたので、果たして自分にそんなことができるのか…と悩みましたね。
それでもやはり、震災の後に親戚や友だちが悲しんでいた顔を思い浮かべると、そんな顔をする人たちをこれ以上増やしたくない、自分が助ける側になりたいと、改めて消防士になろうと思いました」
「親戚や友だちの悲しんでいた顔」、これは木碑プロジェクトを進める上でも優作さんの原動力でした。「そんな顔をする人たちを増やさないために、自分ができることは?」という思いが、消防士への夢や木碑プロジェクトにつながったのです。
2017年、初の木碑建て替え
2017年3月。震災から6年、最初に木碑を建ててから4年がたち、初の木碑建て替えを行うことになりました。「この4年間は、あっという間でした」と優作さん。
大学進学後も毎年3月11日には大槌に戻り、木碑を拭いたりニスを塗ったり掃除を行ったりして過ごしていました。「木碑の建て替えまであと2年か」「もう来年だね、どうするの?」と地域の方に声もかけられながら心の準備はしていたものの、大槌を離れて学生生活を送っていることもあり、最初のときとはまた違った大変さがあると感じました。
復興が進む町は状況が変化して、協力をお願いするつもりだった企業に断られてしまいました。また、地域の人々のみならず、自分自身の危機意識も4年前とは違ってきていることも感じていました。しかしだからこそ、地域の人々が集まって木碑について考え語り合うことが大事だと、優作さんは思い至りました。
建て替えた木碑の言葉は前回と同じ「大きな地震が来たら戻らず高台へ」ですが、今回は側面にも言葉を新たに入れることに。再び地域でワークショップを行い、「震災前日に戻れたとしたら、自分に伝えたい言葉」をみんなで考えました。
「最初は『震災6年目を迎えて、後世に伝えたい言葉』というテーマでやろうとしたんです。だけどそれじゃありきたりで、同じようなものしか出てこないんじゃないかなと。『前日に戻れたら、もっとああいうことができたんじゃないか』ってみんなが考えてみたら、いろんな思いや言葉が出てくるんじゃないかと思いました」
その結果、次の3つの言葉が決まりました。
「あたりまえのことに感謝する」
「誰かの命を助けたいなら、代わりのない自分から」
「絆 声かけあい、思いやりをも 後世に」
これらの言葉も、新しい木碑に刻まれることとなりました。
今後の木碑プロジェクトについて
今回の木碑の建て替えには高校生たちがワークショップに参加するなど、協力してくれました。優作さんは、今後も高校生たちにもっと関わってもらいたいと思っています。一方で、木碑の建て替えは今後、どんどんハードルが上がっていくと感じています。
「高校生の参加は心強いです。ただ、次の4年後の建て替えのときの高校生は、震災時5、6歳の子たちになるんですね。震災の記憶があまりない世代と、どう一緒に行っていくか。さらに古学校地区に住んでいるのは、70代後半から80代の人たちが大半です。4年後にはもう協力していただくことが難しい方もいるかもしれない」
今回、地域の人々とお話して、時間の経過による意識の変化を痛感したそうです。
「やっぱり、『意識があのときとは変わってる』『あのときほどの意欲はもうないかな』といった話は出ました。自分自身もそうなんですけど、でもそれは当たり前のことだと思うんですね。逆にあのときの意欲をずっと維持し続けていたとしたら、日常が苦しすぎる。
一方で、意欲は変化してしまうけど、変わらないものもある。それは『自分たちのように悲しい思い、つらい思いをする人たちを出したくない』という思いです。時間とともに意欲が変化してしまう中、変わらないその思いをどう伝え続けていくか。それが課題ですね」
状況は変化していっても、「変わらない思い」を伝え続けていきたい。そんな優作さんを、カタリバはこれからも応援していきます。