「子どもの6人に1人が貧困状態」という日本の現状を「教育×福祉」の視点から解決するため、 カタリバは2016年7月、困難を抱えた子どもたちに居場所を創る「アダチベース」をスタートさせました。3月29日、受験を終えた中学3年生6人が、未来を切り拓くために行動する大切さを学ぶため、東北へ卒業旅行に出かけました。その様子を、同行したインターンの田島圭佑がレポートします。
>>「子どもの貧困」と向き合う「アダチベース」とは?
>>カタリバの理念「生き抜く力を、子ども・若者へ」
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はじめまして。アダチベースのインターン田島圭佑です。
今年3月、アダチベースは初めての卒業生を送り出しました。今回は、彼らの卒業旅行をレポートします。
旅行のテーマは、「未来への”きっかけ”をみつける」こと。
目的地は東日本大震災で、大きな被害を受けた宮城県石巻市と女川町です。
そこには、震災という困難に向き合い、前に進んできた方々がいらっしゃいます。その姿から、人生を「ジブンゴト」としてとらえられるようになってほしい。そして未来を切り拓くために、行動することの大切さを学んでほしい。この「きっかけ旅行」には、そんな想いがこめられています。
参加したのは、アダチベースでともに受験を乗り越えた6名の中学3年生です。
皆で行く初めての旅行に、子どもたちは期待に胸を膨らませます。
春の陽気と、東北の厳しい寒さが入り混じる3月末の石巻市。
現地に到着したバスに、見知らぬ中学生たちが乗り込んできました。
彼らは、コラボ・スクール女川向学館の中学3年生たちです。
「震災について、あらためて考えてみたい」
「東京の子に、女川を楽しんでいってほしい」
そんな想いから、旅行に協力することを決めてくれました。
>>被災地の子どもたちの居場所「コラボ・スクール女川向学館」とは?
彼らと共にまず向かったのは、旧石巻市立大川小学校です。大川小では津波により、全校児童108名中74名、教職員11名中10名が死亡、または行方不明になりました。被害を受けた校舎は震災遺構として保存されることになり、当時の様子をそのままに残してあります。
バスを降りると、更地の真ん中に津波の爪痕が残る校舎が目の前に飛び込んできました。ここで何があったのかを、元女川中学校教員で、ご自身のお子さんを亡くされた、佐藤敏郎さんが説明してくれました。
「ここで、子どもたちの笑顔と命が一瞬にして失われました」。
あの日がなければ、今、ちょうど彼らと同い年であったはずの子どもたちもいました。6年ものあいだ時が止まったままの校舎を前に、言葉を失うアダチベースの生徒たち。
一人一人が、起きたことの意味を受け止めようと必死でした。
続いて、向かったのは女川町。震災で、約1割の町民と8割の住宅を失い甚大な被害を受けた町です。あの日から、女川の人たちはどのような思いを抱え、復興に向けてどのように歩んできたのか。向学館の生徒たちが町を案内してくれました。
この6年間の出来事に思いを馳せながら、同年代の15歳が語る、等身大の説明に一生懸命に耳を傾けます。
女川中学校の一角に立つ石碑に案内されました。震災後に高台に建てられた、「千年後の命を守るため」の「女川いのちの石碑」です。
「この碑は、私たちの先輩が作りました」という向学館の生徒の説明に、アダチベースの皆からは驚きの声が上がりました。
「これ、教科書で見たことある」
「中学生が作ったなんて、すごい!」
震災という困難に向き合い、前に進もうと行動する女川の人々の想いを、感じ取ったようです。
そして、女川向学館へ。佐藤さんに参加していただき、あの日起こったことについて、みんなで考えるワークに取り組みました。
「失われた命に、意味付けをしてほしい」と佐藤さんが語りかけます。
「なぜあの命は失われなければならなかったのか。それを考えることが、未来を変えることにつながる」。
ワークを終えた後、生徒たちはこんな感想を書き込んでいました。
「震災のことを忘れてはいけないと思った」。
「今日学んだことを伝えるために、自分にできることを探したい」。
この旅行にどんな「意味付け」をするのか、考えるきっかけになったようです。
佐藤さんとのワークの後は、生徒ひとりひとりが自分の人生を見つめ直しました。それぞれが15年間の人生を振り返り、思い出をワークシートに書き込んでいきます。
「ぼくは、部活が大っ嫌いだった」。
そう切り出したのは、いつもは明るく、後輩の面倒見もいいYくん。
人間関係で悩んだ中学生活の思い出を語り始めました。スタッフやコラボ・スクールを卒業した大学生が、人生の先輩として耳を傾けます。
「つらかった。友だちを信用することができなかった」。
そんな彼は、向学館の生徒との交流から、ある気づきを得ていました。
「女川の子たちは、震災を言い訳になんてしていなかった。あの時、自分から周りを変えようとしていれば、結果は違っていたかもしれない」。
「今まで話したことはなかったけど…」
そう前置きして話し始めたのは、普段は自分の気持ちを伝えることが苦手なTくんでした。「学校でどんなに嫌なことがあっても、家族に心配をかけまいと相談することができなかった」。
話し終えた彼は、ホッとした顔を見せました。
Mさんは「私、もしかしたら妹を傷つけていたのかも知れない」と話し始めました。
彼女の妹は、なかなか学校へ行くことができなかったようで、「どうしても学校に行って欲しかったから、毎日のように『(学校に)行け』って強く言ってた。でも、妹も辛かったはず。そんな妹の気持ちを聞いてあげられなかった。」
最後は皆で車座になり、ひとりひとりの想いを分かち合います。
真っ先に手を挙げたのは、妹のことを考えていたMさん。「悩んでいる人の隣にいて、話を聞いてあげられる人になりたい!」彼女なりの答えを言葉にしてみんなに伝えてくれました。
いよいよ、旅も終盤へ。
自由行動が終わり女川を離れる時、Hくんがふいに話しかけてきました。
「これ、買ってきました」。
それは『なみだは あふれるままに』という絵本でした。震災当時、中学3年生だった女川町出身の神田瑞季さんが絵を描いています。一人の女の子が震災を受け止め、希望を見出す物語です。
「後輩たちに、この本を読んでほしい。だから、アダチベースに寄贈します」。
この旅で学んだ、困難があっても前に進む強さを、後輩たちに「伝えたい」という想いが、行動に結びついた瞬間でした。
東北に訪れたことで、まだ目には見えない小さなきっかけがアダチベースの生徒6人の心に芽生えました。
その芽を、彼らは高校生活でどう育てていくのでしょうか。
一歩踏み出した彼らの未来が、素晴らしいものとなっていくように、これからもアダチベースでは寄り添って応援していきます。
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