東近江市長の “不登校児童” や”フリースクール” への発言を受けて[代表のつぶやき]
https://mainichi.jp/articles/20231024/k00/00m/040/168000c
私はこの市長の論には全く賛同できませんが、よく本音を言ってくれた……という気持ちにもなりました。論争が見える化したからです。今時、この論調で堂々とメディアで語る人は少ないのですが、実はこの市長と同じ考えの方は少なくないようにも感じています。
実際「うちの子は学校に通っている」多数の人たちから見ると、不登校が10年連続増えてると言われても何が起きているのかわからないし、「あの子は親がね……」なんてSNSでは書けない本音を聞くこともあります。政治家と議論をしていても、メディアでは言えないけど、この方と同じことを会議室では語る人も少なくありません。
このような議論が巻き起こることは、社会システムの意思決定側にいる人たちが、本音を伏せてそっと現状維持をすることを許さず、変えていく後押しにもなるかもしれません。
この市長発言の一番の問題は「学校が行きたくない場所のままでいいわけがない」ということをわかっていないことです。学校が子どもたちにとって無理に行かなければいけない場所なのではなくて、みんなが居場所と思える行きたい場所にしていくことが私たち大人の役割でしょう。そして、その学校システムのひずみが大きいから、今こぼれ落ちている子どもが増えてる。
そして、この方が全否定しているフリースクールの方々が、ほぼほぼ手弁当で、汗をかいて泥臭く、みんなで受け皿をつくってきたのです。なんの公的支援もなく安全基準に関する標準もない民間フリースクールを、現状のまま認め、(一部の自治体では)利用料の定額支援金を配ることもはじまりました。これもやらないよりはいいけど、それだけでフリースクールが子どもたちにとって最適な場所になるかというと、確かにまったく足りません。子どもたちにとって、安全で未来をつくれる受け皿にしていけるように、社会としてコミットすべきです。
私は、子どもが不登校になることの一番の課題は、いわゆる学力的な認知能力を獲得する機会を逸するという点ではないと思っています。今時、何歳からだって学べるし、学校の教室に座っていなくても学べます。 そこよりも、不登校になることで、家族の価値観以外の人たちに触れながら社会性を養っていく機会が減ってしまうことが、大きな課題だと思います。もろに、親のリソース格差、ソーシャルキャピタル格差がここに影響します。不安を感じている保護者の方は多いと思います。
だからこそ、学校を良い場所にしていく改革と同時に、多様な居場所や学びの受け皿をつくる人たちを認め、励まし、社会として育ていくことが、とても大切だと思うのです。