「これからの高等教育どうする?」という問いに対する想い。そして文科省へ期待すること[代表のつぶやき]
第137回の中央教育審議会 総会で、新大臣から新しく『諮問』が出されました(これについて意見をくださいと、正式に意見を尋ねられることを諮問というそうです)。諮問内容はざっくりいうと「これからの高等教育どうする?」という内容でした。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/kaisai/1415012_00024.html
私は高等教育の専門ではないのですが、義務教育と高校教育に関わる立場からつくづく思っているのは、「18歳で大学生になる」というこの社会の暗黙の合意が、子どもたちの教育問題のおおもとなのでは?ということです。
現在、18歳の60.4%は大学・短大に入学していて、その割合は2010年からだいたい横ばい。大学は56.6%、短大は3.7%、つまり過半数以上の人たち(子どもと言うより、親)が、18歳で大学生になることをベンチマークに、年齢相応の学力に到達させる、もしくはそれを追い越していこうと教育投資をしているのかもしれません。それは、都市部では小学校受験からはじまって、中学で加速し、高校、そして大学受験を迎えています。
2022年から高校の教科・科目に「探究」が位置づけられましたが、これはとてもコスパが悪く、点であらわせない深い学びです。なにかに問いを立ててじっくり考える余裕と時間がないと、物事を探究することなんてできないんです。
17歳や18歳で一般受験に間に合わせることを想定とした高校生活では、いわゆる受験科目のタスクリストが重くのしかかるから、学びや探究をじっくり楽しむ時間なんて、一部のハイスペな人たちじゃないと無い。せっかく始まった高校の探究という科目も、早くも形骸化しているというため息まじりの本音が、多くの先生たちからきこえてきます(もしくは、生徒自身が探究に全振りして総合型選抜のみに照準をあわせるか、どちらかを選択することになる。それもそれでもったいないようにも思うのです)。
どうしても特に進学校では、じっくり取り組む探究よりも、採点をして伸びを図りやすい科目の指導の方が、親たちのニーズにも叶うし、先生としての成果もみえやすいから、そっちに引っ張られます。例えば、大学の二次試験を総合型選抜にするなら、共通テストを数1Aまでとか基礎科目にしないと、生徒も取り組むべき科目が減らない。そういう腹のくくり方を上位大学ができるかどうか、問われているのかもしれません。
18歳が、受験に疲れ果ててへとへとになって大学に入学する、というサイクルを変えない以上、高校以下の学びは変わらない。そして、大学に入学してから楽単(楽に単位が取れる授業)を先輩に聞いて履修しながらイージーモードで時間を浪費して、気づいたら就活前になってる、なんていう大学生活を過ごす人も実は多いという現実も、変わらないのかもしれない。このあたりのことが、これからの大学議論にかかっているのではないでしょうか。
リカレント教育時代。現状は、社会人の学部への入学者数は年間1万9千人。これを増やしていくことが、重要なのではと思います。先日、とても若い友人(25歳)が、高校卒業して働いていく中で、人に会い、勉強したくなって、この9月から大学生になる(うちの母校に)と言ってました。学ぶ意味も目的意識も高く、素晴らしいなと思いました。そういう人を、もっと応援したい。
重ねますが、18歳で入学することを、大多数のシステムとしていく前提のままでは、高校の教育は変われません。今一度、高校教育の内容、大学入学のシステム、大学の学び改革、この3点を諦めず同時に議論してほしいです。
しかし文科省のページの開催概要の下に資料リンクがあるけど、いろんな会議で下に下がっていくからわからなくなりそうですね……。どこかで新しいWebサイトにしないと、なんの議論をされているか、地方自治体の職員や学校の先生方はまったくわからないだろうなと思います。
審議会の議場に座っている人の中に、毎日学校現場の現実と向き合っている人はいません(私も含めて)。先生たちの現場の気づきが、こういう変革期にこそ、大きな意味をもつと思います。受け手に準備された視察ではなく、生の声を集める仕掛けも、文科省はもう少し頑張ったほうがいいようにも思います。