忘れていた夢[代表のつぶやき]
vol.114Voice
岐阜県高山市で育った子どものころ、みんなの前で何かを説明したり、積極的に発言することが苦手な小学生だった。でも、係の活動で取り組んだ「クラス通信」で、書いたものを掲示し、誰かがそれを読んでいる姿を見ることがとてもうれしかった。一緒の係だった細江さんは、絵も字も上手で、細江さんが鉛筆を走らせると、魔法の杖のように楽しい通信になる。憧れて、まねして、たくさん書いた。
中学校のときは、担任の先生に日記を提出した。先生は毎日、学級通信を発行してくれていて、いつも誰かの日記を取り上げた。文を書くことが上手な中村くんや米沢さんら、取り上げられる友人の視点が大人に見えた。私もそれをひそかに目指していた。
高校生になると、新聞投書の募集にあった『薄謝支給』という言葉に目を奪われて、投書した。掲載されると、三千円もらえる。アルバイトが禁止だった高校生の私には、貴重な収入となった。
小・中・高校と、「書く」機会は私のキャリア学習になっていて、卒業文集の将来の夢にはいつも「新聞記者になりたい」と書いたと思う。
結果的に、私は新聞記者にはなっていない。しかし、ひょんなお声掛けで、ここに毎週、書かせてもらえた。忘れていた夢がかなった。そんな時間もあと二回で終わる。
(2019年12月12日中日新聞夕刊掲載)