ジョーカーと私[代表のつぶやき]
先週、公開された映画「ジョーカー」を友人と鑑賞した。
心優しい主人公のアーサーは、コメディアンを夢見ながら、ピエロメークの大道芸人として暮らしている。ところが、貧富の差が拡大する不安定な社会の中で、友人や職場から排除され、抑えていた怒りを他者への暴力に変えて、ジョーカーとしての新しい自己を確立していく。アーサーが悪へと変貌していった本当の理由は何か。隠された真実が映画では明らかにされている。
教育の現場に携わる私自身もこの十年、社会の分断が絶望的なまでに深まっていることをまざまざと思い知らされてきた。日本にも小さなアーサーがたくさんいることを私は知っている。だから、正直、ジョーカーに同情してしまう。
でも、その出口が暴力というのでは社会を諦めてしまうことと同じではないか。私は社会を諦めたくない。
ジョーカーを一人も生まない社会をつくるにはどうしたらいいのだろう。アーサーを孤立化させず、彼のエネルギーを社会の方を変える力にしていくには、他者とのナナメの関係が必要なのではないだろうか。親子でも教師と生徒でもない地域社会の中での人間関係。悩んだ子どもの相談に乗ったり、憧れの先輩になったりする関係だ。
アーサーをジョーカーに変えてしまう社会のあり方を教育から変えていく道を模索し続けたい。
(2019年10月17日中日新聞夕刊掲載)