全社会議2019を開催しました。テーマは「UPDATE KATARiBA」[代表のつぶやき]
2011年、私が経営する組織の10人くらいだったメンバーが、拠点が増えてバックオフィスの役割も増えて全部で50人くらいになった頃、みんながバラバラになりかかった時期がありました。熱狂的に生きるように仕事を楽しみたいからカタリバに来たという集団だからこそ、ぶつかり合いや我慢やすれ違いが重なって、鈍感な私が気づかぬところでみんな少しつづ孤独になっていて、大きな歪ができてしまっていました。
組織は畑。無農薬や自然栽培は難易度が高く、サバイバル競争になります。逆に、肥料を適切にいれて耕せば、どんな人でも才能を開花することができる。教育に従事していますが、免許よりも文化や風土が、結果教育力になる。
(2012年頃はじめて開催した全社会議)
当時、危機を脱出するために悩み、あえてコストをかけて、対話そのものを目的に全社で集まる合宿をはじめてみました。はじめは「忙しい」「そんな時間必要なのか」「残って仕事させてくれ」などほうぼうから声もあがったし、私も迷いました。でもまあ、とにかくevidenceはないけど、集まろう。顔を合わせて互いの思いに耳を傾けあって語り合うことからもう一度はじめよう。カタリバなのにメンバーが語り合ってないのはだめだよねと。無理にみんなで集まりました。
あれから8年。この数年で、対話は想定以上に関係性の質を変えるんだということを全員で経験しました。メンバー同士の関係性の質が変わると、思った以上に仕事の成果が変わる。それぞれの目標とするKPIに対して、次の年から圧倒的に成果が出せるチームに変わっていき、経営的にも自転車操業感は、卒業しつつあります。
創業から19年たって、約130名となったメンバーの職場は現在、7県にまたがり、それぞれ学校・行政で・ユースセンター・オフィス等、全員が違うミッションで仕事をしています。今でも5月のこの時期、織姫と彦星のように毎年一年に一回だけ全員で集まって、今とこれからを語り合う全社合宿をすることを続けています。昨年はオープン前夜のJビレッジさんをお借りしての開催でしたが、今年は久々の関東開催。日曜・月曜で三浦海岸にあつまりました。
今年は、あらためて、課題は次のステージにすすんだ感覚を得ました。オールカタリバ感が出て、各事業の成果も出せる豊かな畑に変わってきた今だからこそ、このムラの中で満足していてはいけない。数多くのテック系教育ベンチャーが台頭する中で、あえて支払能力が乏しい市場でNPOという法人形態を選択し、成し遂げられることはなんなのか。今年のテーマは「UPDATE KATARiBA!」を全員で議論し提案を考えてもらいました。
初日は 安宅 和人 さん(慶応義塾大学環境情報学部教授、ヤフー株式会社 チーフストラテジーオフィサー)と 牧野 篤さん (東京大学大学院教育学研究科教授)という知の巨匠のお二人にお出でいただき、今の自分たちの仕事を疑う多角的視点をいただきました。お二人のインテリジェンスを今の自分の見ている仕事のリアリティとつなげながら未来を妄想する作業に、知恵熱を出している人多数でしたが、次の10年の前に高速アップデートすべきこと、ずっと変えてはいけないものを、対話していきました。
インターンの学生たち、新卒のスタッフからベテランから役員まで、それぞれの視座で見えているリアリティがすべて、改善と想定外の事業構想のヒントになります。リベラルに、だけど既存の社会システムを守ってきた方々へのリスペクトを忘れずに。すべての10代に意欲と創造性が湧き出る新しい当たり前を目指して、アップデートし続けたいものです。
ブレストで出てきた提言案
・教職免許更新講習の講座に、カタリバ型実践研修を提案。
・ユースセンターをフューチャーセンターにアップデート。
・教育現場の意志ある実践者たちのための研究所構想。
・子どもたちを育てる大人の支援をもっと本腰入れて。
・外国ルーツの子どもたちに対する支援を本格検討。
・外国人スタッフが過半数になる未来。
・目の前の子供の支援から、生態系のシステムチェンジフェーズに。
・子どもと大人の対等な関係性を築くための実験を繰り返す。
・カタリバ職員の働き方をもっとアグレッシブに開き多様化する。
・マイプロアワードアジア大会。
・社会に開かれた教育課程を目指すなら、我々こそ社会に開かれたNPOに。
・学校と社会の境界線を溶かす熱源を増強。
・全社会議をこそ開く。 etc・・・
志の高さ、組織としての熱気、しかしこれでいいのかと問う飢餓感など、自由に交わされる言葉を見ながら、この日本の教育が変わろうとしている風の中で、ちゃんとモデルをつくりたい。そのためにも、私には大したことはできないけど、ファーマーとして人が育つ畑を耕し続ける役割を果たしながら、全く想定もしていない次の10年を見つけようとあらためておもいました。