震災から12年。あの日を経験していない私達が生徒たちと考えたかったこと
菅野 祐太 Yuta Kanno 大槌町教育専門官
民間企業で働いた後、東日本大震災を機に、2011年9月からコラボ・スクール大槌臨学舎の立ち上げに従事。2018年4月より大槌町教育専門官として、他の自治体では類を見ないNPOから行政へ出向。岩手県立大槌高等学校で推進される探究学習のカリキュラム開発も担う。JAPAN SOCIAL EDUCATION AWARDS 2019 にてイノベーション賞&ゴールドアーティクル賞を受賞。
カタリバでは、東日本大震災直後から岩手県・大槌町で子どもたちのための居場所「コラボ・スクール大槌臨学舎」を運営しています。
コラボ・スクール立ち上げ期から関わるスタッフの菅野祐太は、大槌町の教育にさらに深く関わるべく2018年より教育専門官として大槌町教育委員会へ出向し、大槌町の教育大綱づくりや、町唯一の高校である県立大槌高等学校の総合的な探究の時間のカリキュラム開発に携わっています。
そんな菅野が、震災からの復興を間近に見てきた高校生たちに復興に関する授業を届けたことで、感じたこと、考えたことを綴ります。
学校独自の
「まちづくり探究」という授業
私は、岩手県大槌町の教育専門官として、大槌高校や岩手県の教育政策に関わってきました。2011年に東京から大槌町に移住して、11年がたちます。
2011年当時、保育園年長だった子どもたちも、高校3年生に。
この学年は卒園式・入学式もままならなかった学年です(中学校の卒業式もコロナでなくなった世代)。そんな生徒たちは、あの震災から復興する町の過程を、小さいながらも一緒に見てきた生徒たちです。
大槌高校では、高校が独自に設定している科目、「まちづくり探究」という科目があります。高校の公民科の先生(被災地外から異動されてきた先生)と一緒にこの授業をつくっています。
まちづくり探究は、このような目標を持って授業を行っています。
ここに掲げられている目標を達成するのは、至難の業です。
ですが、「高校を卒業した後でも身近なところに探究する題材はあるんだ」と伝え続けたい。そう思い、こんな科目を2021年に設定しました。
この授業では、「都会と田舎どちらのほうが暮らしやすいか」というテーマで主張文を書いてもらったり、「デザイン思考を活用して学校改革案を提案せよ」というテーマでプレゼンテーションすることを課題にしてきました。
どんな時に多数決という方法を使ってもよいのか?というテーマで行った授業
ただ、これまではずっと、校内で完結する題材しか扱ってきませんでした。
震災復興を題材にすることに、悩んでいたからです。
被災地 大槌で生まれた子どもたちです。探究すべき身近な題材は、やはりこの町の中ににあるはず。
そうした思いから震災復興を題材に出来ないか、と4月当初からずっと考えていました。ですが被災地の教員には悩みがあるのです。
本当に震災復興を題材にしてよいのか。
あの時を経験していないにも関わらず題材としてよいのか。
生徒にとっても早すぎるのではないかーーー。
悩んでいる間にも、時間はどんどん流れていきます。新しく育つ子どもたちが、震災のこと、そしてその後の復興のことを知らなくてよいのだろうか?という疑問もあります。だからこそ、思いきって震災復興の一つの側面を取り上げて、生徒たちに考えてもらう授業を作ることにしました。
実際にあった課題、
「巨大な防潮堤」の建設を
するかしないか?を題材に
防潮堤を建てなかった赤浜地区(海側から見た写真)
大槌町には、巨大な防潮堤を建てずに高台避難を決断した地区があります。
その地区の防潮堤建設に向けた議論を題材に、一つに決めることの難しさについて考えていく。そんな授業を作りました。
あの日を経験した小國さんによる授業
まずは当時、防潮堤建設について議論するまちづくり協議会の運営を行っていた、小國さんをお呼びしました。防潮堤の構造や、防潮堤の建設についてどのような議論があったのか、を説明してもらいます。
小國さんのお話の中で、印象に残っているのはこちらです。
あの日を経験していない人と経験した人とでは、この言葉のもつ重みが違います。教員には、「正しい認識を後世へ」という言葉がずしりときました。
当時の出来事を、詳しく振り返りながら話す小國さんのお話に、生徒も真剣に耳を傾けていました。
多様な立場・意見を合意に
導くためには?
生徒たちが考え抜いた最終課題
教室で学んだ後は、実際にフィールドワークに行きます。大槌町で、防潮堤を建設した地区(安渡)、建設しなかった地区(赤浜)両方を訪れ、それぞれを見比べます。
生徒は、その当時どのような議論があったのか、思いを馳せていました。
防潮堤を建てなかった赤浜地区(陸側から見た写真)
強調しておきたいのは、防潮堤を建設すべきだったか否かを検証したいわけではないということです。
当時どのような議論があったのかを振り返ることで、一つに決めることの難しさについて、考えてほしかったのです。
最後に、防波堤を建設しなかった地区の、神田赤浜分館長に話を聞きました。
神田館長は震災後、赤浜の復興議論に携わってきた方の一人です。神田館長は防潮堤の議論はもちろん、避難所の中で起きたことを、当時を振り返りながら話してくれました。
それぞれがもつ「こうしたい」という思いがぶつかった時に、どのように考えればよいか、生徒に問いかけながら話は進みます。
赤浜公民館分館にて
学校から飛び出して、さまざまな話を聞いて、見て、考えた生徒たち。最後にこんな課題を出しました。
**
社会を生きていく上では、国・地域・仕事において互いの主張が合わず平行線となってしまう場面も考えられる。しかしそのような際にも合意を図る必要がある。その際に、防潮堤の建設や震災後の避難所生活や復興の議論を踏まえ、どのようなことに気をつけるべきかあなたの考えを述べよ(600字)
**
この課題に、生徒は頭を抱えながら取り組んでいました。
ここでは、生徒の考えの一部を紹介したいと思います。
また震災の復興に思いを馳せてこんな風に書いてきた生徒もいました。
まちづくりを探究するということ
町づくりには、一緒にまちをつくる人たちが必ずいます。さまざまな意見をもつ人がいて、自分だけの考えで町をつくることは、絶対に出来ません。唯一絶対の答えはありません。
ですが、学校の中だけで学んでいると、誰かと意見が異なったときにどうするか?を考えることは難しくなります。ルールや秩序のある学校では、1つの答えがあるように見えてしまうからです。
だからこそ、学校から町に出て学ぶ必要があります。
町に出て、複雑な事象を自分の目で、耳で捉え直す必要があります。
大槌高校では2年生でマイプロジェクト(※)に取り組んでいます。そのマイプロジェクトを通して培った力を、さらに伸ばしていくことはもちろん、「誰かの理想と自分の理想が食い違う。そんなときに、どんな社会を創り出していくのか?」を探究するような授業をつくっていきたいものです。
(※)探究学習のひとつの形としてカタリバが2013年から推進してきた、実践型探究学習プログラム
生徒たちはすでに、大切にしていくべきことの輪郭が見えているようにも思います。
大槌高校の役割は、地域と共に復興を支えるリーダーを育成していくこと。リーダーは誰か一人いればいいわけではなく、局面によって誰がリーダーになるかわかりません。
今年の3年生がそれぞれの時と場所で、周りを引っ張っていく。
そんなリーダーになってくれることを願ってやみません。