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イベントレポート シゴト場特別企画@オンライン「震災から10年、学びの力で東北の未来をつくる仕事」

vol.189Report

カタリバは、どんな環境に生まれ育っても意欲と創造性を育める未来を目指して、全国各地で地域ごとの課題やニーズと向き合い活動しています。そんなカタリバの活動現場の最前線について、実際に働くスタッフからやりがいや具体的なチャレンジについてお伝えするイベント企画「シゴト場」を定期開催しています。

2021年3月24日(水)に開催されたシゴト場特別企画のテーマは、「震災から10年、学びの力で東北の未来をつくる仕事」。このテーマをもとに、鶴賀 康久(事務局長)、渡邊 洸(女川向学館・大槌臨学舎責任者)、芳岡 孝将(女川向学館)、坂本 千紘(大槌臨学舎)の4名が登壇しました。

東日本大震災から10年。これまでの軌跡とこれから目指すところについて、お話させていただきました。今回は、本イベントの当日の様子をレポートします!

 

登壇者プロフィール

事務局長/常務理事 鶴賀 康久
神奈川県鎌倉市生まれ。2008年カタリバ入社。キャリア学習プログラム「カタリ場」の運営に携わる。東日本大震災をきっかけに、東北の地へ移り住み、津波の被害が特に大きかった宮城県女川町、岩手県大槌町にて、放課後学校「コラボ・スクール」である「女川向学館」「大槌臨学舎」立ち上げに従事。2016年より東京に戻り、同年7月に事務局長へ就任。17年8月に常務理事に。

女川向学館/大槌臨学舎責任者 渡邊 洸
1983年生まれ。岩手県北上市出身。北海道大学公共政策大学院修了。 地域資源を活用したまちづくりについて学んだ後、地方自治体の行政改革、業務改善を支援。以前より地元へ戻ることを考えていたが、東日本大震災からの復興を支援することが先決と考え、2013年2月よりカタリバへ。現在は女川向学館と大槌臨学舎の責任者を務める。

女川向学館 芳岡 孝将 
北海道札幌市出身。教員養成大学を卒業後に青年海外協力隊員の理数科教師としてモザンビーク共和国で2年間活動。モザンビークでは中等教育校の物理教員として講義・実験授業を担当し、地域の方と協同する難しさや楽しさを実感した。2012年1月に帰国、4月からNPO法人カタリバの活動に参画し、東北コラボ・スクール、熊本コラボ・スクールの立ち上げ・運営に関わる。

大槌臨学舎 坂本 千紘
宮城県出身。岩手大学教育学部に進学をするも、教育という分野でのキャリアの築き方に悩み、休学。半年間上京し、カタリバ事業部でのインターンを経験した。そこで得た知見や学びを岩手で生かしたいと思い、卒業後、2015年より大槌臨学舎にスタッフとして関わり始める。現在は教務を中心に、スタッフが子どもたちに関わるスキル育成プログラムの開発に携わっている。

震災の悲しみは強さへ

冒頭の鶴賀からの挨拶では、こんなエピソードが紹介されました。

この写真に写る女の子は、2011年当時は小学4年生。そんな女の子が、今や高校を卒業して、社会人として立派に働いています。後ろに写っている仮設住宅は彼女が実際に住んでいた場所ですが、それも今やなくなっています。

10年という月日は、このように子どもたち一人ひとりの成長をつくっていける時間。「被災者がかわいそうだから支援をするのではなく、震災でつらい経験をした子どもたちは、それを乗り越えれば誰よりも強くて優しいリーダーになれるのでは、と思って活動をしてきました。」と鶴賀は語ります。

「子どもたちには居場所がない」
この気付きが活動の源泉だった

2011年5月頃 宮城県女川町の様子

鶴賀:この写真は、2011年5月頃に女川で撮影された写真です。仮設住宅と避難所の間の道で、子どもが寝そべって勉強していました。これを見たときに、震災後の一時的な支援は終わりつつあっても、子どもたちには居場所も勉強場所もないんだ、ということに気付かされました。

そこでカタリバはこの課題を解決するために、宮城県女川町と岩手県大槌町に居場所をつくろう、と動き始めました。そして震災から4ヶ月後に、子どもたちが落ち着いて過ごせたり勉強したりできる場所の運営をスタートすることができました。

左:女川向学館、右:大槌臨学舎

鶴賀:女川では小学校の建物を生かして、大槌では何もないところに建物をつくって、そこから10年が経ちました。女川と大槌では、昨年から今年にかけてこの学び舎を移転させて、もっと町の中心部に新たな居場所をつろうと、新しいチャレンジを始めています。

被災した子どもたちの居場所から、
新しいチャレンジができる場所へ

鶴賀:この10年間で、変わったことは何でしょうか?

渡邊:できることがすごく増えてきました。最初は被災した子どもたちの居場所として立ち上げましたが、そこから10年をかけて、町も大人も産業も元気になっていって。

今では例えば、子どもたちが最新のICT教材を使って個別最適化された学習をしたり、中学生が町の人と連携して新しい駅舎でプロジェクションマッピングを企画して実行したり。震災直後の頃を思うと夢のようなことですが、こういった新しいチャレンジができるようになってきました。

左:ICT教材を使った学習の様子、右:新駅舎で行ったプロジェクションマッピング

鶴賀:芳岡さんはどうですか?

芳岡:女川向学館で10年間向き合った、りょうやくんという子がいます。当時小学5年生、今はもう社会人になりました。小学生の頃はそれほど自分の主張をするタイプではなく、誰かの後ろについているような子でした。

そんな彼が商業高校に進んで、自分が勉強している商業のことを後輩たちに教えてあげたい、と言ってくれるようになって。さらに社会人になってやりたいことの話をした際には、女川のために何かできることをしたい、と言ってくれました。周りが女川を出て仙台や東京へ行くなか、自分は地元に恩返しをしたい、と。

そして彼は今、町づくりに関わる団体のメンバーとなり、町のための活動に取り組み始めています。こうして、自分の想いを形にする子どもたちが生まれてきたのは、変化だし、僕がここにいる意味だなと感じています。

左:中学生当時のりょうやくん(右側の男の子)、右:社会人になったりょうやくん

鶴賀:坂本さんはいかがでしょうか?

坂本:子どもたちの変化は目の前で感じてきました。例えば震災当時、小学1年生に上がるタイミングだった子たち。大槌ではいくつかの学校も被災したので、入学式もできず校舎も間借りする形でのスタートでした。

彼らはそうしたつらい環境のなかで、なかなか自分の気持ちを言葉にできず、不安定になってしまう子も多く見られた学年でした。だからこそ町全体で、学校だけでなくソーシャルワーカーの方やカウンセラーの方などと連携をしながら子どもたちを受け止めてきました。

そんな彼らが高校生になって、自分の言葉で周りに対してやりたいことを語っている姿が見られるようになりました。これはすごく大きな変化だなと感じています。

鶴賀:そういった取り組みをしていくなかで、苦労したことは何でしょう?

渡邊:建物の復旧などハード面に比べると、子どもたちへの教育などソフト面はどうしても優先順位が低くなります。それでも町の人たちに必要性を訴えて、実現していくことは大変でもありやりがいでもありました。

芳岡:僕も同感で、子どもたちが取り残されている感覚がありました。保護者の方も震災のショックで大変で、現実と向き合うための時間が必要だった。それによって、子どもたちにしわ寄せがいくということはあったかなと思います。

復興というフェーズを抜けて
これからの東北に必要な事業をつくる

鶴賀:逆に残っている課題としては、どんなことがありますか?

渡邊:子どもたちの個別の課題に寄り添っていくことは、まだまだかなと思っています。例えば、将来やりたいことを考えるときに、「その子の興味関心をどこまで広げていけるのか」はこれからのチャレンジです。特に、地方だと「ロールモデルが少ない」という課題もあるので。

芳岡:僕としては、活動が評価されはしたものの真似されてはいないな、と感じています。地方で子どもたちの成長を促すモデルを確立して、もっと世の中に発信していきたいです。

鶴賀:これからの事業の方向性についても教えてください。

渡邊:大きくは復興というフェーズから、今の東北という地方に必要な取り組みへシフトする、ということを考えています。そのために3つあるかなと思っていて。1つ目が、事業に持続性を持たせること。リソースを確保して、地域の中でこの活動を担う団体をつくっていくということです。

2つ目は、子どもや若者を町とつなげていくこと。中学生までは町にいても、高校・大学・社会人と進むにつれて町から出ていってしまう。ただ居場所として戻ってきてもらえるような場所はつくれていると思うので、町と子どもや若者がもっとつながれるような場所にしていきたいです。

3つ目は、被災地の熱を東北全体に伝播させていくこと。僕自身岩手県の内陸出身ですが、被災地の人の方が前向きにこれからをつくっていこうという姿勢が強いなと感じています。この熱を東北全体に広げていきたいな、と個人的に思っています。

子どもたちの変化を一番近くで見ることができる
「特等席」がここにある

鶴賀:活動のやりがいはなんでしょうか?

渡邊:卒業した子どもたちが戻ってきてくれて、あのときがあったから今頑張れています、と言ってくれると、何にも代え難い喜びがありますね。

芳岡:僕も似たようなところですが、卒業した子どもたちがふらっと戻ってきて、何か良い表情を見せてくれる瞬間があります。そういう姿を見ると、何も言わなくても今すごく充実していることが伝わってきて、良かったなと思えます。あのつらい時間を過ごしてきた子たちが、こんなにも前向きになっているのか、と。

坂本:子どもたちのポジティブな変化は何より嬉しいですし、それがあるから頑張れるなと感じています。昨日できなかったことができるようになる、など小さな一つひとつの変化を、一番近くで見ることができる特等席だな、と思いながら過ごしています。

鶴賀:逆にうまくいかなかった例は、何かありますか?

芳岡:高校受験までは一生懸命勉強して、第一志望の高校に入った子が、悩んで中退してしまったことは今でも心残りです。当時もっと何かできていれば、その子の選択肢を広げてあげられたんじゃないかなと。

鶴賀:それぞれ校舎の移転に伴い事業も変化すると思いますが、今後は卒業後のフォローアップもできそうですか?

芳岡:やっていきたいと思っています。町中に移転することで、もっとふらっと立ち寄れるような居場所にしていきたいです。何もなくても声をかけてもらえるような存在になれれば、良いのかなと。

坂本:私も同様に、卒業してつまづいてしまう子は何人か見てきました。だからこそ、卒業してからもふらっと遊びに来てもらえるような居場所にもっとしていきたいです。

未来の仲間に向けて

鶴賀:女川向学館も大槌臨学舎も新たなフェーズを迎えていますが、これから皆さん個人としては、どのような想いで活動をしていきますか?

渡邊:僕は東北出身で、東北のために何かしたい!と思ってカタリバに転職しました。教育やまちづくりの領域で、東北に骨を埋める覚悟で活動をしていこうと思っています。

芳岡:僕は土地というより人との関係性ができてきたことがここに居続ける理由です。一緒に働いている仲間や生徒や保護者の方、学校の先生、町の方と、住めば住むほど連携が取れるようになり、できることが増えてきました。その人たちのために活動したいと思っているので、これからさらに一緒に素晴らしいものをつくっていきたいです。

坂本:私にとって、大槌はどんどん居心地が良い町になってきました。何かをしたい!と思って来たのに、もらったもののほうが多くて。少しでも返していけるような人になっていきたいですし、長い目で子どもたちの変化を見ていきたいです。

鶴賀:そんな皆さんは、東北の地でどんな方と一緒に働きたいですか?

芳岡:熱を持って東北のために新しいことに取り組んでいきたい、という方と一緒に働きたいです。あとは子どもたちのことを中心に据えて考えられる方が素敵だなと思います。

坂本:東北に縁があってもなくても、東北を好きになってくれる方だと良いなと思います。あとはワクワクしながらこれからつくっていく未来を語り合える人と一緒に働きたいです。

鶴賀:子どもたちや町の変化を見ることのできる、特等席はまだ空いているということですね!


 

イベントを終えて参加者からは、「一人ひとりの子どもに対する想いが聞けて、私もこういう人たちと働きたいと思えました」「10年という時間の中で何がどうなっていったのか、さらなる課題などを知ることができました」「支援活動のこれまでだけでなく、これからのことも聞けて、ワクワクしました」というような感想をいただきました。

「震災から10年経ちましたが、それで何かが大きく変わるわけではない。今まで通り子どもたちに向き合って、進んでいこうと思います。」と芳岡が話していたように、カタリバは東北の未来をつくるためにこれからも活動をしていきます。

職員、業務委託、インターン、ボランティアなど、NPOには多様な関わり方があります。想いを同じくする方は、まずはぜひ一度門を叩いてみてください。

 

現在カタリバで募集中の関連ポジション
■コラボ・スクール 女川向学館・大槌臨学舎
地域に根ざした「放課後学校」の運営スタッフ
■災害時子ども支援「sonaeru」
災害時の子ども支援を最前線でリードする「sonaeru」運営スタッフ
■オープンポジション
オープンポジション

Writer

編集部 編集部

KATARIBAMagazine編集部が担当した記事です。

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