「内省と自己表現」ラップを通じて子どもの文化資本と自己肯定感を高めるアダチベースの取り組み
「子どもの貧困」を生み出す
3つの資本不足
厚生労働省の報告書によると、日本の子ども(17歳以下)の貧困率は13.9%(2015年)。つまり、7人に1人の子どもが貧困状態に陥っている状態だという。教育に関わる人にとっては実感の伴う数字だと思うが、これを聞くと、意外に感じる人もいるかもしれない。日本では、日常の中で今にも飢え死にしそうな子どもをよく見かける、というわけではなく、貧困が目に見えにくいからだ。
貧困の種類は大きく分けて2つ、「絶対的貧困」と「相対的貧困」がある。「絶対的貧困」とは、人間として最低限の生存を維持することが困難な状態。飢餓に苦しんでいたり、医療を受けられない状態のこと。一方「相対的貧困」は、その国の文化水準、生活水準と比較して困窮した状態を指す。具体的には世帯の所得が、国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない状態だ。日本の子どもの7人に1人が陥っている貧困とは、この「相対的貧困」と呼ばれる状態を指している。
貧困状態にある子どもは、「標準的な生活」の中での成長が難しくなる。しかし「お金さえあれば自立した大人に育つことができる」というわけでもない。社会とのつながりや信頼、言葉遣いや規則的な生活習慣、一般教養などが保護者から伝わることで、自立した大人になっていく。フランスの社会学者ピエール・ブルデューは個人的資産には、「文化資本」(教養や習慣、資格など)、「社会関係資本」(人との信頼やつながり)、「経済資本」(お金)の3つがあると言っている。
相対的貧困状態の子どもの保護者には、これら3つの資本が不足しがちで、結果その子どもたちにも不足することになる。この繰り返しが「貧困の連鎖」となっていく。 子どもたちが、できるだけ多くの人と絆を結んだり、社会を信頼できる経験をして、自分の「資本」を増やしていくことが必要だ。
文化資本を育む種まき
カタリバは2016年8月より、「生まれ育った環境に左右されることなく、自分の将来に希望を持てる地域社会の実現」「子どもたちが『生き抜く力』を身につけることで、自分の人生を自ら切り開き、貧困の連鎖に陥ることなく社会で自立していくこと」を目指していた東京都足立区より委託を受け、生活困窮世帯の子どもたちの学びと居場所「アダチベース」をスタートさせた。
足立区内で2拠点を構えるアダチベース
アダチベースでは、学習支援や居場所づくり、食事提供以外に、地域の人々・他団体・支援企業なども巻き込みながら、ものづくり、スポーツ、音楽、家庭菜園…など、多様な体験企画を実施してきた。「子どもたちが何に、いつハマるかわからない」ので、多種多様な機会提供に努めている。 「元々の文化資本が育まれていないところに何かを試しても、子どもたちからすぐに反応があるとは限らない。色々な体験を蓄積していった時に、ひとつでもハマれるものがあればと思って、多くの種をまいておきたいと思っています」アダチベース拠点長の堀井勇太はそう話す。
アダチベース拠点長 堀井 勇太 1982年東京生まれ。飲食業界を経てデザイン、インテリア関連のクリエイティブ業界など異色業種から2009年にETIC.のN.I.Pを機会にカタリバに転身。対話から生まれる創発の可能性を信じ、中学、高校への出張授業のディレクションから大学と連携し様々なキャリア教育プログラムの講師を担当。その後子どもたちの居場所施設「アダチベース」の立ち上げに携わり、現在は同施設の拠点長を務める。
そんな「多くの種まき」の中、彼が体験プログラム化したい、と考えたのが、ヒップホップカルチャーにまつわるもの。ちょうどTV番組の影響もあり、中学生にもなじみ深く、気軽に触れやすいのではないか。またユースカルチャーに根ざしたヒップホップを知ることは、時代背景について学んだり、取り巻く文化に出会っていくことができる。子どもたちにとって、消費するだけの一過性の体験プログラムで終わらないのではないか、という期待もあった。
ダンスやグラフィティなど、ヒップホップカルチャーには様々な要素があるが、堀井が目をつけたのは「ラップ」だった。ラップは自分を表現するもので、自己表現のためには、まずは内省しなければならない。自身の興味、関心に気づくことや、今までの経験を客観的に捉えるリフレクションのプロセスが、ラップという形式の表現方法では面白く、楽しくできる。
また、特別な機材や場所がなくともパフォーマンスができるので、多くの人からリアクションをもらえる機会ができる。その経験を積むことが子どもたちの自己肯定感を育むと考え、各地でラップ講座をしていたラッパー、「晋平太」とつながることができたこともあり、2017年より「ラップ」を体験プログラムに採用した。
アダチベースで定期開催する晋平太のラップ講座
堀井:「今の10代全体に言えることでもありますが、特に文化資本が育まれていない子どもたちというのは、自分の考えを表現するのが苦手です。対面だけでなく、SNSなどでのコミュニケーションを踏まえて『キャラ』を確立しなくてはならず、自分を出す、自己主張することを怖がる傾向にあります」
例えばアダチベースで、LINEのオリジナルスタンプを作るワークショップを開いた時のこと。子どもたちは模写はできるのだが、「一から」自分の考えを出して絵を描くことができなかった。中には文化資本に乏しい子どもたちもおり、褒められる、ポジティブな反応をもらうという経験も少ない。そのため、自分自身の気持ちを表現することに臆病になりがちだというのだ。ベースに自信がないので、「こんなの違うかな?」と思ってしまうと、何もできない。 「そんな彼らにとって、『ラップ』というフォーマットは、表現を助け、自分を出しやすくなるのではないか」と考え、晋平太のラップ講座をスタートさせた。
「ラップ」は自分の人生を主体的に
生きるというスタンスを学べる
晋平太は、ラップバトル番組「フリースタイルダンジョン」で、史上初の完全制覇を果たしたラッパー。現在、TOKYO MXテレビの「ぶっちゃけTEENS 君のことばプロジェクト」ではアンバサダーとして都内の学校を訪問し、10代の若者たちが自分の言葉を表現するラップ授業を行っている。
「ラップは、場所もお金もかからない。そして正解があるわけじゃないから、誰にでもフィットするんです。活発な子でも陰キャでもオタクでも、ラップでなら自分の意見を言いやすい」 と、晋平太はラップの間口の広さを語る。
ラッパー 晋平太 フリースタイル(即興)でのラップバトルを得意とし、数々の大会で王座を獲得。伝統ある「B-BOY PARK MC BATTLE」を始め日本最大規模のラップバトル「ULTIMATE MC BATTLE」で2連覇を達成するなど、その功績は快挙にいとまがない。HIP HOP界の活動に留らず、フリースタイルの伝道師として内閣府や自治体、企業等と組み全国各地でラップ講座を開催。日本語ラップを通じての子供を対象とした自己啓発など、社会貢献を意識した普及活動を行っている。
彼のラップ講座では、ラップの歴史解説、自己紹介や特技、好きなもの、夢や目標などをビートに合わせて読んでいくことから始める。しかし、アダチベースの講座では当初、子どもたちが心を開いてくれず、実際に「ラップをする」段階まで辿りつけないという難しさがあったそうだ。最初は物珍しさから人気だったが、回を経るとほとんど参加者が来ないこともあり、なかなか定着しなかった。それでも晋平太は、「とにかく月1回は来て、やろう」と決めた。施設外に出て子どもたちと「足立区ツアー」をしてみたり、晋平太のライブに来てもらったり…と距離を縮めるための試行錯誤をした。アダチベースの子どもたちの生きる力を育むのに、「ラップの力はきっと役に立つ」という確信があったから、諦めなかった。
晋平太:「今約2年たって、やっと何人かの子どもたちが、楽しんでラップをできるようになりました。そのうちのひとりに鉄道オタクの子がいて、自分の好きな鉄道や駅の名前をラップにするんですけど、最初に講座に来た時の表情と変わりましたね。生き生きして、とても前向きになったんです。リリック(ラップの歌詞)が一行でもしっくりこないと、自分から『もう一回やり直していい?』って言う。納得できるまで、とことん打ち込むようになってきた」
テーマは何でもいい、鉄道でも、アニメでも、アイドルでも、自分の個人的な趣味や好きなことを、または日常の出来事や仲間のこと。ラップで自分の内側を見つめ直しストーリーを組み立て、「人に聞いてもらう」ということが、子どもたちの生きる勇気につながっていく。
ラップでは、日常ではなかなかできない、「自分を客観的に見て、それを自己主張に変換する」という訓練ができる。自己主張すれば、必ず受け容れてくれる人がいて、「こういう考え/経験は自分だけではないんだな」と気づくことができる。自分に自信を持て、自己肯定感を高めることにもつながっていく。
晋平太:「自己主張って、決してわがままなものじゃない。自分の人生を主体的に生きていくという知識を身につけることだと思います。ラップってあくまでも、主語が“I”=「俺、私」なんです。物事をとらえる時に、主語“I”で語る方法を身につけていったほうがいい。自分を持っている人間は、他人の“I”も尊重できると思うんです。アダチベースでラップやってる子は、いつかそこまでいけるといいな、って思ってやってます」
現在ラップ講座では、レコーディングしてお互いのラップを聴き合ったり、夏休みに3回のワークショップ形式でアダチベースの紹介ラップ動画を作成し、イベントで上映したりなど、活動を深めていっている。
アダチベース拠点長の堀井は、 「ラップに出会ったことで、少しずつ心を開いたり、人との距離感を縮めたり、確実に何かが変わり始めた子どもたちがいます。イベントや講座はその場しのぎでやっても仕方がない。継続的な創作活動を通じて、子どもたちは自己肯定感を持てるようになると思います。今後も文化資本を育んでいけるような体験活動を続けていきたい」と話した。この2年間のラップ講座で少しずつ表れ始めた子どもたちの変化に手応えを感じている。
9月に文京区からカタリバが委託を受けて運営する“中高生の秘密基地b-lab”で実施したアートワークショップ「Art Week b-labをひっくりかえす」(詳しい記事はこちら)を、11月にはアダチベースで展開する予定もある。
どんな環境に生まれ育った10代にも、内省とリフレクションと自己表現を伴う、多様な創作活動の経験が必要だ。その経験の積み重ねが、人生を主体的に生きるはじめの1歩に繋がるはずだ。
取材・執筆=上村彰子
編集・バナーデザイン=青柳望美
上村 彰子 ライター
東京都出身。2006年よりフリーランスでライター・翻訳業。人物インタビューや企業マーケティング・コピーライティング、音楽・映画関連の翻訳業務に携わる。現在、カタリバ発行のメルマガや各種コンテンツライティングを担当。
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