【台風19号宮城県丸森町】「泥水の跡、なぎ倒されたフェンス、横転した自動車・・・」調査・活動レポート
佐藤 敏郎 Toshiro Sato NPOカタリバ アドバイザー
1963年、宮城県石巻市生まれ。国語科教諭として宮城県内の中学校に勤務したのち、2015年3月に退職。その後は全国の学校、地方自治体、企業、団体等で講演活動を行う。2016年に『16歳の語り部』(ポプラ社)を刊行。「小さな命の意味を考える会」代表、「認定NPO法人カタリバ」アドバイザー、「KIDS NOW JAPAN」理事のほか、ラジオのパーソナリティとしても活動中。「スマートサプライビジョン」特別講師。
台風19号による甚大な被害が出ている中、NPOカタリバは長野県長野市と宮城県丸森町に調査チームを派遣し、私たちにできる支援を始めています。
宮城県丸森町での調査・活動には、カタリバのアドバイザーである佐藤敏郎先生にも参加していただいています。佐藤敏郎先生は、2011年、宮城県・女川第一中学校の国語教師を勤めていた際に東日本大震災を経験。現在は学校の外に飛び出し、日本全国で「あの日」の体験を伝える様々な活動に取り組んでいます。
そんな敏郎先生による、10月16日(水)の宮城県丸森町についてのレポートです。
台風19号の被害が広範囲に渡っています。3.11以降、特にこの2,3年でほぼ全部の都道府県が被災地になった感じです。「被災」と「支援」の垣根を越えて、日本中がスクラムを組んでいかなければ、と強く思います。
16日、宮城県の県南にある丸森町に行きました。浸水した金山小学校の支援です。
自動車道を降りて町に向かうと、こんな所まで?という高さに泥水の跡、なぎ倒されたフェンス、横転した自動車・・・、まさに爪痕です。思わず息を飲みました。
丸森町に向かう道
自衛隊の車も多い
金山小は1mほど浸水、つまり一階は使えない状態です。近隣の小中学校の職員総出で備品の持ち出し、泥出し作業が延々と続いていました。
役場前のグランドには、ガレキやゴミが次々と運ばれ、積み上げられていました。三日前まではガレキでもゴミでもなかったものばかりです。
浸水した教室の床
私は、作業を手伝いながら、校舎から運び出される泥だらけの教材や備品もあそこに運ばれていくんだよなぁ、と8年前を思い出し、しんみりしてしまいました。でも、今は学校再開(予定では23日)に向けて、そんな感傷に浸る間もなく、黙々と作業は続きます。ほんとうの喪失感はたいてい、一段落した後に生まれるものです。
校舎から運び出された、泥だらけになった備品の山
教育委員会や他の学校の様子もお聞きしました。状況は日毎に変わり、課題も見えてきます。カタリバはボランティアの若者達と通いながら現地のニーズを考え、柔軟にサポートしていけたらと考えています。
「こんにちは!」「お疲れさまです!」前途は多難だとしても、はつらつとした先生方の表情に、こちらが励まされました。
23日に登校する子供たちもきっとそうなんだろうと思います。
文=佐藤敏郎
丸森町では今日も、復旧に向けた懸命な作業が休みなく続けられています。
引き続き、敏郎先生や東北の仲間とともに、私たちにできることを続けていきます。