「教育を“たまたま”や“ラッキー”で終わらせてはいけない」 子どもの貧困問題に人生をかける彼女がカタリバを選んだわけ/NEWFACE
崎山 明香里 Akari Sakiyama アダチベース セントラル拠点運営責任者
1996年生まれ、沖縄県那覇市出身。大学を卒業後、小中高生向けAI教材のコンサルティング営業や学習塾開業支援に約3年半従事。高校生の頃から、「子どもの貧困」に関わる活動をしていきたい、という想いがあり、2023年カタリバへ。「アダチベース」にて学習支援やユースワーク/ユースソーシャルワークミッション担当を経て、拠点運営責任者を務めている。
ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、複業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。世界が一斉に経験したコロナ禍をへて、今後ますます働き方は多様に変化していくだろう。
そんな中カタリバには、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナーなど、多様なバックグラウンドを持った人材が就職してきており、最近は複業としてカタリバを選ぶ人材もいる。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?
連載「New Face」では、カタリバで働くことを選んだスタッフから、その選択の背景を探る。
カタリバが足立区から委託を受けて運営する「アダチベース」は、家庭の事情で放課後の居場所を求めている子どものための施設。
2024年9月より、2つある拠点のうち「アダチベースCentral」の責任者としての業務を任されているのが、崎山明香里(さきやま・あかり)だ。
元々「子どもの貧困問題に向き合いたいと思っていた」とカタリバへの入職理由を語る彼女の、知られざる原体験に迫りたい。
修学旅行へ行かない決断をした高校時代
——まずは現在の仕事内容を教えてください。
「アダチベースCentral」で子どもたちと日々接しています。同時に、拠点責任者として足立区との報告会やスクールソーシャルワーカーさんとの連絡会など、外部のステークホルダーとも関わりながら、子どもたちを見守っています。
——入職から1年も満たないタイミングで拠点責任者になることに、不安はありませんでしたか?
不安だらけです(笑)。慣れないことも多いので、一つひとつ丁寧に対応しているところです。
業務の進め方としても「今日はこの業務をやるはずだったけど、この子の対応が優先だからここからみんなで対応していこう」と方針を決めることもあるので、プレッシャーもありますし……。
ただ、入職間もない私に「拠点責任者に興味ある?」と声をかけてくれて、「マネジメントや外部のステークホルダーとの関わりなどを経験することは、崎山さんのキャリアにとってキーポイントになる」と意味づけをしてくれるのは本当にありがたいです。チャレンジを応援してくれる組織だと感じました。
——キャリアビジョンについては後ほどお聞きするとして、カタリバへの入職のきっかけとなった“原体験”について詳しく教えてください。
早くに父を亡くしてひとり親家庭で育ちました。
生活に余裕はなく、小中学生の頃から「好きなものが買えないな」と思っていましたが、明確に周囲との違いを実感したのは高校生のとき。
部活に入っても、費用の面で遠征に行けなかったり、部活に必要な用具を買い続けられなかったり……。そういうことが続き、結局部活を辞めてアルバイトを始めることにしました。
進路の話題でもみんなは「県外の大学」とか「私立の大学」の学校名を普通に出していましたが、私は入学金や授業料の額にビックリしてしまって……。「自分でお金を貯めなければ自分の未来は切り拓いていけない」と感じました。
決定的だったのが、修学旅行へ行かない決断をしたことです。進学資金をアルバイトで貯めつつ、家庭にも入れていたのですが、貯めたお金を修学旅行費に充てることは、自分のなかでは絶対ありえなかった。
周囲は当たり前のように行っていたので、悔しかったし、憤りもありました。でも、私は「行かない」という選択をしました。
「いつか見返してやろう」という気持ちを燃やし続けて
——どのようなことを考えながら、高校生活を送っていたのでしょうか?
毎日泣きながら生活していたので、精神論で片付けてはいけない問題ということは理解しつつも、「いつか見返してやろう」という気持ちを持ち続けていました。
「どうせ無理だから」と進学ではなく就職を考えたり、公務員試験の勉強をしようと思ったりした時期もありましたし、何も考えたくない時期もありました。でも、やっぱり大学へ行きたかったし海外留学もしたかったので、「今は頑張るしかない」と。
幸いなことに、修学旅行に行かなくても友達と疎遠になることはなかったし、先生たちからのサポートもありました。何より母親が応援してくれていたので、くじけずに前を向いて進めたように思います。
そんな中で転機となったのが、母が新聞で見つけてきた県主宰の無料塾の情報でした。
アルバイトを掛け持ちしていたので勉強する時間が少ししかなく、数学が苦手で困っていたので、「このチャンスを逃したら大学へ行けないかもしれない」と、藁にもすがる想いで飛び込みました。
——塾へ通い始めて変化はありましたか?
少人数の授業で、自習室も常に開放してくれて先生に質問できる状況でした。勉強を前向きにサポートしてくれる人が目の前にいると「私も頑張らなきゃ」という気持ちになっていって。
他にも「大学進学にはこの奨学金もあるよ」「バイトでこのくらい収入を得れば自活できるよ」など、学校では聞けないような大学進学後の話も教えてもらえたので、すごく安心できました。「まずは自分のやるべきことを頑張ろう」と心の余裕も生まれたように思います。
——そして、無事大学へ進学。思い切り羽根を伸ばすかと思いきや、インターンや留学などにもチャレンジされています。自分を高めることに時間を費やすことができた原動力は何だったのでしょうか?
高校時代に抱いていた悔しさや憤りが使命感になっていったような気がします。当時、テレビなどでも「子どもの貧困」が話題になっていたタイミングで、自分も当事者だったことに気づくと同時に、「これが自分の人生をかけるべきテーマかもしれない」と感じるようになりました。
同級生の中にも同じように頑張って進学してきた人が多かったので、「泣き言なんて言ってられない」と自分を奮い立たせて。楽ではなかったけれど、充実した大学生活でした。
より直接的に貧困問題と向き合いたい
——就職活動はどのようにしたのでしょう?
「子どもの貧困問題に関わりたい」という軸を持ちつつ、教育・福祉などを視野に入れながら就職活動をしました。
ただ、当時はカタリバも含めてNPOが新卒で職員を採用することは少なくて。就職先に悩んでいたところ、AI教材を活用してコストを下げつつよりよい教育を届けていくことにビジョンを置いている会社と出会いました。ビジョンにも共感でき、ビジネスそのものにも興味を持てたことが入社の決め手です。
——どのような点に興味を持たれたのでしょうか?
「“現場観”を養えるかもしれない」と感じたんです。
子どもの貧困問題に関わりたい気持ちは強いものの、あまり現場を知らないし、そもそも教育についての理解も浅いままなので……。
AI教材の営業は、仕事を通じて塾の先生をはじめ教育の現場にいる人たちの話を聞く機会を得られそうだったので、自分の足りない点を補完できると考えました。
——実際に働いてみていかがでしたか?
子どもの貧困問題の解消に直結しているような仕事ではなかったのですが、想いの強い先生が多いことに驚かされました。
AI教材を使うと人件費を削減できるため、授業料を安くして、ひとり親世帯で教育にお金をかけられない子どもを抱えることができるわけです。ひとりで多くの子どもたちを指導する先生の姿に感銘を受け、「私ももっと頑張ろう」と思うこともよくありました。
——やり甲斐のある仕事だったようですが……なぜカタリバへ?
3年半ほど勤めたところで、ふと「果たして自分は子どもの貧困問題に直結する何かをやっているか」と、一度立ち止まって自分のキャリアを見つめ直したことがありました。
今後の人生を考えたときに「より直接的に貧困問題に直面する子どもたちを支援していきたい」という気持ちが強くなり、元々知っていたカタリバ、それもアダチベースに応募しました。決め打ちというか、カタリバ以外は検討していなかったですね。「縁がなかったら他を探してみようかな」ぐらいの気持ちでした。
——選考で印象に残っていることはありますか?
私の原体験を棚卸しながら、そのうえで私がアダチベースでできること、やりたいことを深掘りしながら一緒に今後のキャリアを考えていくような選考でした。
職務経歴書をなぞるようなものではなく、「崎山さんが入ったらアダチベースがどんな未来を描けるのかを一緒に考えていきたい」と。緊張しながらも「すごい。こういうことを聞かれるんだ」とワクワクしたのを覚えています。
面接を経て「カタリバに入りたい」という気持ちは強くなりましたし、実際に子どもたちと接している様子を見たことで熱量も高くなったように感じました。
誰もがチャレンジの機会を得られる世の中に
——カタリバ入職後の印象を教えてください。
意思決定やPDCAのスピードが速くて、いい意味でギャップがあり驚きました。一方で、自治体と連携するような事業については戦略的に練り上げてブラッシュアップしている。臨機応変に優先順位、対応スピードなどを決められる点が、カタリバの強みの1つかもしれません。
——仕事でやり甲斐を感じたのはどのようなときですか?
子どもたちの言語化を支援できたときですね。アダチベースに通う子どもたちのなかには「嫌だ」という言葉に「疲れた」という意味がある子がいたり、逆に「楽しい」という意味がある子もいます。
だから、私たちはユースワークを通じて言語化の手伝いやリフレーミングをしているのですが、徐々に「あのとき自分はこういう感情だった」と整理して言えるようになってくることがあって。「言語化」という社会に出て役立つような大きな変化を促せたときはやり甲斐を感じます。
——ユースワークのなかで意識していることはありますか?
「いい塩梅でのおせっかいを焼く」ですね。焼き過ぎてもいけないし、放っておき過ぎてもいけない。子どもたちが自分から言い出せないことに対して、「本当はどう思っているの?」とおせっかいを焼きながら、今の感情や置かれている状況に気づく手伝いをすることを意識しています。
——将来のキャリアビジョンについても教えてください。
将来的には沖縄に、貧困問題に直面する子どもたちのための居場所をつくりたいと思っています。カタリバでの経験がすべて直結していくはずなので、今後目の前の業務により一層力を注いでいきたい。
私は“たまたま”“幸運なことに”無料塾と出会えて、進学という道を選ぶことができました。でも、このような機会を“たまたま”や“ラッキー”で終わらせたくありません。誰もがチャレンジの機会を得られるような状況をつくっていきたいんです。
奨学金制度などは充実してきていますが、まだまだ届いていない子や、制度と制度の狭間に落ちて支援を受けられない子もいるので、ちゃんと届けられる仕組みを地域のみなさんと一緒に築いていきたいと思います。
取材の最後に「高校時代に抱いていた怒りの矛先」について聞いてみた。
すると彼女は「誰に対する怒りなのかわからないんですよね」と振り返った。同時に「でも、今はもう消えている気がする」とも明かしてくれた。
肉体的にも精神的にも負担の大きかった10代を乗り越えて、今カタリバにて新たなミッションにまさに向き合おうとする彼女。より力強く突き進んでいくはずだ。
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田中 嘉人 ライター
ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。
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