「生徒だけでなく、先生にもまなざしを」元・地域おこし協力隊の教育魅力化コーディネーターがカタリバを選んだわけ/NEWFACE
八木橋 朋広 Tomohiro yagihashi コラボ・スクール双葉みらいラボ
埼玉県出身、法政大学経営学部卒業。大学時代にb-labにてフロアキャスト、ボランティアとして2年ほど活動。2017年、新卒で人材採用コンサルタント会社に入社。1年後に退職し、地方を転々としてして過ごす。2020年、岩手県釜石市で教育魅力化コーディネーターに着任。2023年よりカタリバに就職し、コラボ・スクール双葉みらいラボにて活動を続ける。
ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、複業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。世界が一斉に経験したコロナ禍をへて、今後ますます働き方は多様に変化していくだろう。
そんな中カタリバには、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナーなど、多様なバックグラウンドを持った人材が就職してきており、最近は複業としてカタリバを選ぶ人材もいる。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?
連載「New Face」では、カタリバで働くことを選んだスタッフから、その選択の背景を探る。
カタリバには「教育に携わりたい」という気持ちを持って入ってくる仲間が少なくない。
福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校併設の「双葉みらいラボ」で働く八木橋朋広(やぎはし・ともひろ)もその1人だ。
学生時代に漠然と教育に関心を持ち、カタリバが運営する施設でボランティアに取り組んだものの、民間企業へ就職。その後、改めて自分の関心に気づいた彼は、いかにして再びカタリバの門を叩くことになったのか。
彼の葛藤、そして現在の仕事にかける想いに迫る。
人の変容や成長を見れる仕事がしたい
——まず、教育に関心を持ったきっかけから教えてください。
大学時代にカタリバが運営する文京区青少年プラザ「b-lab(ビーラボ)」のボランティアをしたことがきっかけです。といっても、最初は単に子どもが好きで、「中学生や高校生と遊べたらおもしろそうだな」ぐらいの気持ちでした。
だから当時の僕は、相談相手というよりも遊び相手。でも、ひたすらに卓球やバスケに付き合っていたら、次に会ったときに「八木ちゃん」と呼んでくれたり、「実はクラスメートのことで悩んでて……」とポロッと口にしてくれたりする瞬間があって。
カタリバの『ナナメの関係(※)』の大切さを実感すると同時に、「いずれ教育に関わりたい」と考えるようになりました。
※『ナナメの関係』とは、親や先生などのタテの関係でも、同世代の友だちというヨコの関係でもない、新しい視点をくれる少し年上の先輩という関係
——なぜ「いずれ」だったのでしょうか?
学校教育に関心がなく、教職課程もとっていなかったので、自分のなかに学校や塾を仕事場にするという選択肢がなかったんです。
カタリバでインターンをしてはいたものの、NPOで働くというイメージも持てなかったので、「将来、どこかでチャンスがあったら飛び込みたいな」ぐらいの気持ちでした。
——就職の際はどうだったのでしょう?
実は、就活はほぼしていませんでした。当時は教育以外にもフェアトレードやワークショップデザイン、まちづくりなどにも関心があり、やりたいことを選べなくて。
大学4年の夏ぐらいにさすがに焦り始めて、「これから教育に携わるのは難しそうだけど、人に関わる仕事なら」と人材採用コンサルタント会社に就職しました。
しかし、なかなかやりがいが見出せず、1年程度で退職しました。もちろん社会人として勉強になる部分は多かったのですが、直接誰かのコンサルティングをするというよりも、人事担当の方をサポートする意味合いの方が強かったので……。わかったうえで入社したつもりでしたが、「自分の興味関心は、人の変容や成長を直接見ることにある」と実感しました。
岩手県釜石市にて教育魅力化コーディネーターに
——その後、地方を転々とされて、岩手県釜石市の地域おこし協力隊として働き始めます。何がきっかけだったのでしょうか?
元も子もない言い方になってしまいますが「仕事があったから」という理由が一番大きいです。
当時は「地方消滅」といったワードが出始めたタイミングで、自分自身もまちづくりに関心があったので地方に照準を当てていました。仕事を辞めて千葉、岐阜、香川などを転々としたのですが、地方は地方でやはり大変なんですよね。
主に第一次産業の手伝いをしていたのですが、ハードな仕事だし、そもそも単純に働き口自体が少ない。地域によってはコミュニティ間の対立があるなど、さまざまな問題も目にしました。
そんなとき見つけたのが、釜石の地域おこし協力隊での教育魅力化コーディネータ―という仕事でした。内容は、行政職員として市内の公立高校と地域をつなぐ役割を担い、総合的な探究の時間を軸に先生と授業設計や生徒の探究支援などを行うこと。
学校の魅力づくりを通じて地域とつながりができていく過程は、本当に楽しかったです。
——その仕事を続けようとは思わなかったのでしょうか?
最初から3年間限定の有期契約だったんです。探究支援をしていた生徒たちの卒業式まで残残りたい気持ちは強かったのですが、残念ながら叶わず……。
ただ、その3年で自分自身の考えも整理することができ、引き続き学校現場に関わっていきたいと考えるようになりました。そんなとき、「双葉みらいラボ」での募集を発見し、迷わず応募を決めました。
——なぜ「双葉みらいラボ」に?
苦しみながらも生徒の成長を願って頑張っている先生たちの力になりたかったからです。
2022年度から高校で「総合的な探究の時間」が始まりましたが、先生たちは指導方法を教わったわけではなく、教科書もありません。意欲のある先生ががむしゃらに頑張っている状況だったので、専門的な知見を有している外部人材、コーディネーターが学校にいることが非常に重要だと感じました。
ここ数年、コーディネーターは徐々に増えてきていますが、まだすべての高校に配置されているわけではありません。
自分が一生懸命頑張っている先生たちをサポートし、協力しながらより良い授業の環境をつくり、同時にコーディネーターの必要性も発信できたらと思い、「双葉みらいラボ」を選びました。
——「双葉みらいラボ」以外の就職先は探さなかったのでしょうか?
はい。「双葉みらいラボ」では先生たちへの研修の提供にも力を入れていて、生徒たちはもちろん、先生たちが抱える悩みや不安の解決にもまなざしを向けていました。その点にも非常に共感していたので、カタリバ以外の選択肢はありませんでした。
だから、「不採用だったらどうしよう」とすごくドキドキしていました(笑)。
外部の人間が、信頼されるために
——改めて現在の仕事内容を教えてください。
ふたば未来学園において、主に3つの業務を担当しています。
1つ目は、「双葉みらいラボ」という放課後の居場所を運営することです。
2つ目は、探究学習の年間授業計画の策定です。私は主に高校1年生を担当していて、先生たちと一緒に議論を重ね、計画を作り上げています。
3つ目は、ふたば未来学園やカタリバのなかで得た知見やノウハウを、全国に届けていく方法の設計です。学校ごとに学力や規模が異なり、やれることが変わってくるので、“届け方”も慎重に検討しているところです。
——最もやりがいを感じているのはどのあたりでしょうか?
いろいろあるのですが、中でも年間授業計画の策定は難しいだけに手応えを感じます。同じ1年生でも去年と今年ではメンバーが違うし、カラーも異なります。「今年はこういう感じですね」と先生と対話を重ねて課題を設定していくプロセスや、認識を擦り合わせられる瞬間は楽しいです。
策定後も、生徒たちの反応を見てブラッシュアップしていきます。私たちが考えたプログラムを生徒に提供すると、あまり伝わってないときと楽しそうに取り組んでくれているときのリアクションが全然違うんです。ネクストアクションも考えやすいので、非常にやりがいを感じています。
——外部人材として、先生たちと関係性を深めていくことに難しさを感じることはありませんか?
入職した当時はそう感じたこともありました。自分のことを誰も知らない状況だったので……。その際に意識したのは、自分から挨拶をするなどの基本を徹底すること。誰しも何者かわからない人間に心を開くことはできませんから。
少しずつ関係性ができてきたら、「おはようございます」から「そう言えば、昨日のことなんですけど……」と話題をつなげていく。会話の中で課題が見つかったらすぐに調べて「そういえば、昨日のアレ調べてみたんですけど……」とリアクションする。
地道な積み重ねで、少しずつ「八木橋さん」と名前を呼んでもらえて、「実は生徒にこういうことがあって……」と話をしてもらえるようになりました。相手に自己開示してもらうためには、まずは自分からやっていくべきだと実感しています。
いい意味でのしたたかさを備えたい
——これまでの経験で、今に活きていることはありますか?
やはり柔軟性ですね。これまでいろいろな地域を転々として、生活のなかに溶け込んでいく方法を模索してきていたので、コミュニケーションの取り方も含めて活きていると思います。先ほどお伝えした挨拶の件もそうですが、適応能力は備わってきている気がします。
——今後のご自身の課題という点ではいかがでしょうか?
中長期での事業の展望や、予算獲得など事業経営の視点を持つことですね。学校で何かをやろうとしたときに、どうしても予算が必要になってくるので。今は予算については上司がやってくれていますが、早く自分でできるようになるためにも、いい意味での戦略性、したたかさみたいなものを身につけていきたいです。
あとは、先々を見据えた計画性ですね。自分たちの知見やノウハウを全国に広げていくためにも、行き当たりばったりでは限界があるので。
——どのように培っていこうと考えていますか?
上司やチームメイトと相談しながら、自分に足りない部分を補っていきたいと考えています。計画を進めていくうえで「自分がこれをやったら迷惑になっちゃうだろうな」ということでも、嫌われることを恐れない。ゴールを見誤らないようにしたいです。
カタリバの魅力の1つは、頼りになるメンバーが他拠点含めて多く存在していることです。相談もしやすいし、知見やノウハウもたくさんある。しかもワークシートなどでナレッジマネジメントなどもされているので、見つけやすい。地域おこし協力隊で相談相手が限られていた立場からすると、心強すぎる組織です。
——最後に「双葉みらいラボ」として、これからやっていきたいことを教えてください。
先生向けの研修を通じて、全国の探究のより良い学びが授業として届く教育環境をつくりたいですね。そして、取り組みを通じて生徒の自己決定や自己実現を、進路選択と結びつけていきたい。やりたいことがあるって幸せなことじゃないですか。今後私たちにとって特にポイントになる部分だと思うので、注力していきたいと考えています。
「これまでうまくいかないパターンをあまり考えずに生きてきたので、それで現場で困っていることがいっぱいあるんです(笑)」
そう笑顔で、これまでのキャリアを振り返った八木橋。確かにビジネスでは最悪のパターンを想定するのが鉄則だが、逆にそれが足かせとなって次の決断を遅らせてしまう理由にもなりかねない。
失敗を恐れずに、新しいミッションにチャレンジし続ける彼のこれからに注目したい。
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田中 嘉人 ライター
ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。
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