「教育に公平性を」10代での決断を悔やむ彼がルールメイキングで実現したい世界/NEWFACE
佐藤 宏亮 Kosuke Sato ルールメイキング
1992年生まれ、愛媛県松山市出身。専門学校卒業後、旅行会社へ就職。しばらく働いた後に、英語を極めるためニュージーランドへ。帰国後は東京の専門学校で研修旅行の取りまとめやカリキュラム作成、教材開発を行う。その後、情操教育を専門とする教育コンサルティング会社での勤務を経てカタリバへ。ルールメイキング事業で広報活動や、ルールメイキング・サミットの企画・運営、地域共助の拡大を目指した地域パートナーとの連携や戦略立案・分析などを行っている。
ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、複業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。世界が一斉に経験したコロナ禍をへて、今後ますます働き方は多様に変化していくだろう。
そんな中カタリバには、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナーなど、多様なバックグラウンドを持った人材が就職してきており、最近は複業としてカタリバを選ぶ人材もいる。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?
連載「New Face」では、カタリバで働くことを選んだスタッフから、その選択の背景を探る。
「教育に公平性を」
そう語るのは、生徒が中心となり先生や関係者と対話しながら校則・ルールを見直し、生徒主体の学校づくりを目指す『みんなのルールメイキング』で活躍する佐藤宏亮(さとう・こうすけ)。
彼がカタリバへ転職し、ルールメイキングに取り組むエネルギーの源泉は、自身の原体験にありました。
何が彼を駆り立てるのか、彼が実現したいのはどんな世界か。佐藤の心を強く動かした経験や想いに迫ります。
もっと多くの子どもたちに教育機会を提供したい
——前職の仕事内容を教えてください。
情操教育を専門とする教育コンサルティング会社に勤めていました。そこでは私立中学校や高校の研修旅行の手配・運営も行いつつ、学校行事を開発するのがメインの仕事でした。
転機になったのは、2020年のコロナ禍です。学校行事が全く開催されなくなったことを受けて、方針をシフト。学校現場に入って、子どもたちが学びを止めないために探究学習の開発支援をしていくことになりました。
——転職のきっかけとなったのは何だったのでしょうか?
「もっと多くの子どもたちに教育機会を届けたい」と考えたからです。
あくまでも僕が担当していたのは私立校の一部のクラス。学校からお金をもらって開発した教育プログラムは、お金を払って受けられる子もいれば、受けられない子もいる。
自分は自信を持って子どもたちをモチベートできる授業を提供しているはずなのに、届けられる子どもが限られていることに疑問を感じるようになりました。
もちろんビジネスなので割り切っていくべきなのですが、葛藤はありました。「教育という仕事にやりがいがあるけど、公平性は担保できているのか」と。モヤモヤする日が続き、仕事が嫌になってくる時期もあって……転職を考えるようになったのはその頃です。
——教育の公平性への意識はなぜあったのでしょうか?
自分の原体験として強烈に残っているからかもしれません。
僕は愛媛県出身なのですが、小学校・中学校の部活動選びや高校の進路選択のタイミングでは、親や先生から勧められたものを選んでばかりで、自分が“したいかどうか”よりも“できるかどうか”で人生が決まってきた経験があります。
でも、東京に出てきて選択肢の多さに気づかされました。「もし東京に生まれていたら自分はどうなっていたのかな」と、自分の人生において“たられば”を考えてしまうというか。少なくとも自分にとって教育は公平なものではなかったような気がしています。
僕と同じように後悔する子を生み出したくないなと思いましたし、教育格差をなくして多くの子にたくさんキッカケを提供したいと強く思ったんです。
「ナナメの関係」はビジネスの世界にはなかった
——なぜカタリバへ入職することになったのでしょうか?
転職サイトを通じてカタリバのルールメイキング事業から声をかけてもらったからです。
他にも何社か検討していたのですが、決め手はカタリバの共成長モデル「ナナメの関係」に共感したことです。これまでタテかヨコの関係しかないビジネスセクターにいた僕にとって、新しい視点をくれる少し年上の先輩という「ナナメの関係」は衝撃的でした。
親や先生などのタテの関係でもなく、同世代の友だちというヨコの関係でもない「ナナメの関係」なら子どもたちの成長にまっすぐ向き合うことができるし、一緒に成長していける。「カタリバいいなぁ」と思って、入職を決めました。
——選考で印象に残っていることはありますか?
オンラインで開催された「ルールメイキング・サミット」を見学したことです。
カジュアル面談が終わった約一週間後、全国で校則の見直しに取り組んでいる中高生が事例発表したり、有識者が講演したりするルールメイキングの祭典「ルールメイキング・サミット」があったので、急遽見学させてもらえることになりました。
特に驚いたのが、地元・愛媛県の学校が参加していたことです。県庁所在地の松山市の学校ではなく地方にある学校だったのですが、全国的に見ても先進的にルールメイキングに取り組んでいることを知りました。
正直、愛媛の教育環境は後進的で前年踏襲の傾向が強いと思っていたので、新しい取り組みにアンテナを張っている学校があることに驚きました。「愛媛もやるじゃん」と(笑)。
まだルールメイキングについて実態が掴めていなかったのですが、対象が都市圏の学校だけではないことに「この取り組みは本物だ」と感じましたし、何より僕が届けたい教育の形だということを実感しました。自分の理想と合致したので、見学したあとすぐに「エントリーします」と選考に進みました。
学校現場やビジネスセクターでの経験を武器に
——ご自身でもルールメイキング事業への配属を希望されたと聞きました。
学校現場を見てきているからこそ、ルールメイキングを通じて子どもたちに教育機会を届けるアプローチをしていくことは僕としても叶えたい部分でした。当事者である子どもたちはもちろん、先生方も苦労していることは知っていたので。
「先生方とはビジネスパートナーというよりも生身の人間として関わっていきたい」と思っていたタイミングだったので、ルールメイキングを通じて関わっていくことにやりがいを感じていました。
——仕事内容についても教えてください。
最初の1年間は、ルールメイキングに興味を持っている先生方や実際に活動を始めたばかりの先生方の支援がメインでした。ルールメイキングの全体像や他校の事例をお伝えしたり、時には相談にのったりしていましたね。
今年度からは、ルールメイキングを知らない学校以外の層へのリーチをメインに担当しています。いじめや不登校などさまざまな教育的課題があるなかで、校則見直しの注目度は上がっているもののまだまだ優先度が低いので、ルールメイキングという活動の重要性を広く発信していく仕事です。
自分の身の回りの課題に対して当事者意識を持って、いろいろな人と対話しながら解決していくことはこれから生きていくうえでも大切なことなので、学校の先生方だけでなくビジネスセクターにも周知する機会を増やしていく予定です。
——現状のビジネスセクターからの反応はいかがですか?
認知や共感はしてもらえている感覚はあります。ただ、どうしても「今の子どもたちってすごいね」で終わってしまいがちなので、「ビジネスセクターのみなさんにとっても必要なこと」ということを何度も何度も伝えて、社会が動いていくようなムーブメントにつなげていきたいです。
——ご自身の経験を活かせる部分はありますか?
学校のルーティンみたいなものは理解しているつもりなので、無理なくルールメイキングの活動をするための提案をしたり、学校の構造をイメージしながらお話ししたり……ということは少しずつできている感覚はあります。
あとは、もともとビジネスセクターにいたので、企業で働く方々とのコミュニケーションにおいてもアドバンテージを感じています。僕らは決してビジネスセクターのみなさんのワークスタイルを崩してまでルールメイキングを広めたいわけではないので、みなさんの事情も汲み取りつつ、普段の生活のなかでできることを考えていきたいですね。
ルールメイキングをどんな学校でも実践できるように
——ルールメイキング事業で働き、成果を感じたことはありますか?
2023年に自治体から依頼を受け、担当したとある中学校でのエピソードです。教員主導の教育が行き届いていて、よく言えばみんな良い子なのですが、別の言い方をすると子どもたちが本音をぶつけ合えていないように感じていました。
最初は先生方もルールメイキングにあまり前向きではなく、「子どもが考えるとラクな方に流れてしまうんじゃないか」「荒れてしまうんじゃないか」と不安の声が多かったです。
一方で、なかにはルールメイキングの可能性を感じてくれている先生もいたので、その方にメイン担当になってもらって、子どもたちと対話的な活動を繰り返していきました。
「そもそも“対話”とは?」というところから話していったのですが、子どもたちは相手を傷つけないように慎重に言葉を選びながら、コミュニケーションを重ねていくわけです。すると徐々に、先生たちの子どもたちを見る目が変わっていって。「子どもたちはこんなに考えているんだ」「ちゃんとやってくれている」と信頼されるようになったときは、本当に嬉しかったですね。
特に心に残ったのは、子どもたちが口にした「とりあえずやってみることの大切さを感じました」という言葉です。僕は学生時代、やりたくてもやれなかったという経験をしてきたので、ちゃんとアクションを起こして言葉にできていることが、ちょっとうらやましかったです。
さらに、それまで生徒会は誰一人手を挙げることなく、先生推薦で集められた生徒だけの会だったのですが、昨年はなんと14名が立候補してくれたみたいで。選挙演説でも、「生徒会の人たちがルールメイキング活動のなかで、対話を通して学校の課題をみんなで一緒に解決してくれたのが心に残っています」など、ルールメイキングの影響を感じさせる内容があって……感動すら覚えました。
——ありがとうございます。最後に今後の目標について教えてください。
ルールメイキングにおいて、まだスポットライトが当たっていない学校に目を向けていくことです。「ルールメイキングをどんな学校でも実践できる取り組みにしていきたい」という想いを形にしていきたいですね。
また、ルールメイキングは学校で自走していくのが理想ではあるのですが、我々のような第三者が介入することで機能していくケースもあると思うので、生徒や先生同士で対話を重ね、みんなの納得解をつくっていくプロセスが醸成されるようになるまでは伴走していきます。
自身の痛感した「教育の不公平さ」を原動力に子ども、そして先生たちと向き合い続ける佐藤。
ルールメイキング以外にも目を向けており、「今後事業を横断した形でカタリバ全体にコミットするような仕事にチャレンジしたい」と明かした。
カタリバにいるからこそできることをーーそう語る佐藤の目には、日本中にいる課題を抱える子どもたちが映っているのだろう。
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田中 嘉人 ライター
ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。
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