ユースワーカーをキャリアの選択肢に。文京区青少年プラザ「b-lab」館長の想い/Spotlight
米田 瑠美 Rumi Yoneda 文京区青少年プラザb-lab館長
1984年生まれ。大学卒業後、人材系企業にて6年半勤務し、首都圏エリア中小企業の求人・採用に携わる。同社内CSRの一環で「キャリア教育プロジェクト」のメンバーに選ばれたことから、教育への道を考えるようになり、カタリバに転職。カタリバでは、出張授業「カタリ場」という一期一会の場づくりから、中高生の放課後施設運営という日常の居場所づくりに至るまで事業を経験。その他、ボランティア育成、行政との協働事業にも携わる。
度重なる自然災害やコロナ禍など、昨今は社会全体、さらには子どもたちの置かれる環境に大きな影響を与える出来事も少なくない。
すべての10代が意欲と創造性を育める未来の当たり前を目指し、全国各地で活動を行っているカタリバ。
その現場では、状況の変化に合わせて取り組みの内容を柔軟に進化・変化させつつ、目の前の子どもたちに向き合っている。
シリーズ「Spotlight」では、現場最前線で活動するカタリバスタッフの声を通して、各現場のいま、そして描きたい未来に迫る。
「ユースワーカー」。
それは、10代の子どもたちの成長を支援する専門スタッフのこと。イギリスなどのヨーロッパ各国では政策の一環として養成され、国家資格になっている国もある。
しかし、ここ日本でのユースワーカーの認知度はまだまだ低く、職種名を聞いてもピンとこない方がほとんどではないだろうか。
「中高生の放課後の過ごし方が多様な社会にしていくために、ユースワーカーをキャリアの選択肢としてイメージできるようにしていきたい」
そう語るのは、カタリバが運営するユースセンター・文京区青少年プラザ「b-lab(ビーラボ)」の館長・米田瑠美(よねだ・るみ)。
2014年の入職以降、10代の子どもたちとさまざまなアプローチで向き合い続けてきた彼女が、身をもって感じた若者支援の課題、そしてユースワーカーの存在意義に迫る。
第三の居場所であり、人生の選択肢が増えていくような場所
——本題に入る前に、現在の仕事内容について教えてください。
文京区青少年プラザ「b-lab」の館長として、カタリバや文京区とのやり取り、事業戦略立案、正職員・非常勤職員、学生インターン・ボランティアスタッフなど総勢45名程のチームのマネジメント、採用・育成などに取り組んでいます。
「b-lab」には年間のべ2万5,000人近くの中高生が来館しており、私自身がフロアで執務しているため、子どもたちと接する機会も非常に多くあります。
中高生にとって、家でも学校でもないホッと安心できるような第三の居場所であり、同時に人生の選択肢が増えていくような場所であることが「b-lab」のようなユースセンターの存在意義だと考えています。
——「b-lab」にはどんな特徴があるのでしょうか?
カタリバが大切にしている親や先生などのタテの関係でも、同世代の友だちというヨコの関係でもない“ナナメの関係”からの対話を軸に運営しています。
具体的には「b-lab」では、学生インターンやボランティアのみなさんが最前線に立って、居場所づくりに取り組んでくれています。中高生にとっては少し年上の先輩であることは安心にもつながるし、「将来自分もこうなれるかもしれない」という目標にもなり得ます。中高生が日々を前向きに過ごす原動力になってくれていたらうれしいですね。
——学生インターンやボランティアの皆さんとはどのようなコミュニケーションをしているのでしょうか。
まずは学生インターンやボランティアのみなさん自身が「b-lab」という場所に安心感を覚えてもらうことを大事にしています。そうでなければ、中高生たちに安心感を提供できませんからね。つい「中高生の可能性を見出したい」「チャレンジを後押ししたい」に意識が向きがちですが、まずは自分たちの安心感醸成、そして中高生との関係性構築に取り組んでほしいと考えています。
b-labを利用する高校生(左)とスタッフ(右)
b-labを利用した、ある男子高校生の変化
——2024年で「b-lab」は10年目に突入します。これまで印象的だった出来事を教えていただけますか?
「b-lab」を利用した中高生たちが大学生になってOB・OGとして学生インターンやボランティアとして戻ってきてくれることが増えたことですね。
ひとり、特に心に残っている男の子の話をさせてください。彼は高校時代、家族のことで悩みつつ、学校でも周囲との関わりで苦労していましたが、「b-lab」を利用し始め、中高生スタッフとして広報誌づくりなどのプロジェクトにも挑戦していました。
プロジェクト活動をきっかけにスタッフとも関係性を築き、家族や学校の悩みにも向き合いながら、少しずつ自信をつけていって、最終的には「教員になりたい」と教育学部に進学。
それだけでも感慨深いものがあったのですが、高校卒業から2年後に「中高生に関わりたい」と再び「b-lab」の門を叩いて、ボランティアスタッフとして活動してくれて。その後「この経験を活かして次のステージでも頑張ります」と巣立っていく姿を見られたのは非常に印象的でしたし、長期で中高生に関わることのできる「b-lab」ならではの出来事だったように感じています。
——高校時代の彼にとってまさに“ナナメの関係”にあるスタッフとの対話が人生のターニングポイントになったように感じるのですが、具体的にはどういったコミュニケーションをとっていたのでしょうか。
まずは、彼が本音を語ったときは受け入れるということですね。肯定も否定もせずに、きちんと受容する。関係性が芽生えてきたら「私はこう思うよ」という意見を伝えていって……。
元々優しさを持ち合わせている人だったので、周りだけではなく自分にもベクトルを向けられるように、スタッフが声をかけていきました。自分を大切にできるようになったことで、自信が芽生えていったのかもしれません。
“ユースセンター”や“ユースワーカー”の現在地
——ユースセンターの可能性を感じるエピソードですが、米田さんご自身はまだまだ課題を感じているそうですね。
やはり、ユースセンターという居場所やユースワーカーという職種の知名度・認知度の低さですよね。
私自身、カタリバへ入職するまで知らずに生きてきたのですが、ヨーロッパと比べてユースセンターという場所もユースワーカーという仕事も知られてなさすぎる。ユースセンターの数もなかなか増えないし、だからこそキャリアとしても選択されにくい。
特に10代にとっての家でも学校でもない第三の居場所が生まれにくい世の中になっているように感じています。
——こういった課題に対して米田さんはどのように向き合っていこうと考えているのでしょうか。
知名度・認知度が低い理由のひとつが、ユースワーカーのキャリアパスが見えづらいことだと考えています。ボランティアのイメージが強く、仕事として生計を立てることが難しいと思われているような気がしていて。
正直、私もカタリバと出会うまでユースワーカーを生業にしていけるとは思っていませんでした。でも、カタリバを知って人生観が180度変わりました。だから、私がロールモデルのひとりとして、ユースワーカーのキャリアパスを描いていきたい。そして、ユースワーカーのリアルを世の中に発信していきたいと思っています。
——ユースワーカーのキャリアパスをあえてカタリバで描いていくことには、どのような意味があるのでしょうか。
カタリバのいいところは、日々の現場との向き合いだけではなく、社会にもまなざしを向けていることだと思います。
ユースセンターを運営しているとつい目先のことだけで手一杯になってしまいがちなのですが、カタリバは社会を変えていくために、まだ誰も目を向けていない名もなき課題をも発見して、職員の一人ひとりが取り組んでいる。前例のないことへのチャレンジには、やはり同じ志を持った仲間の存在は大切ですからね。
もうひとつ挙げるとするなら、カタリバが「ナナメの関係」と「本音の対話」を大切にしながら10代を対象にした活動に取り組んでいることです。
人生において10代での経験が及ぼす影響の大きさは計り知れません。カタリバが大切にしていることを私も大切にし続けたいと感じられているから、ここで活動を続けているのだと思います。先ほどの男の子の話のように、ゆらぎの多い思春期にナナメの関係として伴走していくことの大切さを、私自身が目の当たりにしたことも大きかったですね。
10代の中高生たちにも居場所が必要だから
——具体的にはユースワーカーやユースセンターの見られ方をどのように変えていきたいと考えていますか。
まずユースワーカーについては、ボランティアなどのいろいろなひとが「ナナメの関係」としてユースセンターに参画できるように、より多くの出会いをコーディネートしていければと思います。さらに“生業としてのユースワーカー”もキャリアの選択肢のひとつとして検討できるように、知名度・認知度を高めていきたいです。
そのための方法はまだ模索中ですが、データなのか、仕組みなのか、それとも中高生たちの声をベースにするのか……さまざまなアプローチが考えられるので、いろいろ実践したいと思います。
ユースセンターについては、学校と同じぐらい当たり前の場所になってくれたら嬉しいですね。とはいえ、価値の評価が非常に難しい部分でもあるので、時間はかかりそうですが、「10代の中高生たちにも居場所が必要だ」ということが伝わるように日々地道に取り組んでいきたいと考えています。
——最後に、「米田さんにとってユースワーカーはどういう仕事なのか」を教えてください。
実は、10代の中高生たちを支援しているようで、逆に学ぶことが多い仕事です。
そういう意味では、子どもたちと一緒に成長していける仕事と言えるかもしれません。親や先生、友達でもない“ナナメの関係”だからこそ伝えられることもあるし、子どもたちから伝えてもらえることもある。
もちろん学校の先生のことも尊敬しています。実は、学生時代に学校の先生を志した時期もあって、教員免許も取得しました。でも、教科教育だけではなく、生活全般を通して子どもたちを支援したい気持ちが強かった。どうしても、先生と生徒だとタテの関係になってしまうし、評価軸が勉強中心になってしまうので……。
だから、カタリバで“ナナメの関係”として伴走していきたい。先生ではなく、“一歩先をいく先輩”ぐらいの温度感で10代の中高生を社会に送り出していけるのは、ユースワーカーならではの魅力だし、やり甲斐だと思います。
彼女の「ユースワーカーをキャリアの選択肢にしたい」という想い。もし現実のものになれば、10代の中高生だけではなく「子どもたちを支援しながら生きていきたい」と考えている人たちにも新たな人生を照らすことになる。ユースワーカーとしての可能性を最大化していくために、彼女の挑戦は終わらない。
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・子どもたちの「自分が頑張ればいい」を終わらせたい。ヤングケアラー支援に取り組む職員の原体験
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田中 嘉人 ライター
ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。
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