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オリエンタルランドからNPOへ。人事として新たな挑戦のステージにカタリバを選んだわけ/NEWFACE

vol.303Interview

date

category #インタビュー #スタッフ

writer 田中 嘉人

Profile

土屋 雅貴 Masaki Tsuchiya キッカケプログラム

1994年生まれ、神奈川県平塚市出身。立教大学卒業後、株式会社オリエンタルランドに総合職として入社。ショー/パレード運営の管理を経験した後、人事本部へ移る。「やりたいこと」に再度向き合ったタイミングで転職を決意し、2022年5月からカタリバへ。現在は事業をまたいで、HR領域全般を担当している。

ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、複業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。世界が一斉に経験したコロナ禍をへて、今後ますます働き方は多様に変化していくだろう。

そんな中カタリバには、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナーなど、多様なバックグラウンドを持った人材が就職してきており、最近は複業としてカタリバを選ぶ人材もいる。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?

連載「New Face」では、カタリバで働くことを選んだスタッフから、その選択の背景を探る。

誰もが知るオリエンタルランドから、カタリバへ。

異例のキャリアチェンジを図ったのが、現在カタリバが提供する「キッカケプログラム」(※1)の採用や人事設計などを担当している土屋雅貴(つちや・まさき)だ。

なぜ彼は、規模も知名度も異なるNPOを新たな挑戦のステージに選んだのか。そこには人事としての成長、そして「NPOをキャリアの選択肢にしたい」という熱い想いがあった。

(注釈)
※1 「キッカケプログラム」
「家庭環境の違いによる教育機会格差をなくしたい」という想いから、経済的な事情を抱える子どもたちに学びの機会を届けるために、パソコン・Wi-Fiを無償貸与し、継続的な学習支援を行うオンライン支援プログラム。

東京ディズニーリゾートに“来られない人たち”の存在

──本題に入る前に、前職の仕事内容を教えてください。

オリエンタルランドの人事本部で働いていました。担当していたのは、従業員が利用する施設の改善・開発やエンゲージメントアップ施策です。

総合職として新卒入社した当初は、パーク内でも働いていました。まずは現場でキャストを管理する時間帯責任者として、ショーやパレードを観るゲストの導線をつくったり、パレードの乗り物がちゃんと園内を通れるような状態をつくったり……交通整理×インフォメーションセンターのような仕事で、新卒で約400名のキャストをマネジメントしていました。

肉体労働なのでハードではありましたが、やはりキャストが楽しそうに働いている姿、そして何よりゲストの笑顔が生まれている瞬間を目の当たりにできたことは大きかったですね。

特に、責任者として安全管理のためパレードの先頭を歩いているときに、ゲストの嬉しそうな表情や大きな拍手を見聞きすると、一緒に働いてきたキャストたちの頑張りを誇りに思いました。

──人事本部での仕事についても教えてください。

たとえば従業員用の食堂を建て替えるときに、専属のデザイナーと一緒にインテリアを考えたり、構内を通る従業員用バスのダイヤを見直したり、「そもそもここにバス停があるべきなのか」をバスを運行している会社と話し合ったり……“点”というよりも“面”で見ていくような仕事でした。

──非常にやりがいは大きそうですが、なぜ転職を?

理由は大きく分けて2つあります。ひとつは、もともと教育がバックグラウンドにあるため、20代のうちに人事業務のなかでも人材育成や組織開発に関わる仕事に挑戦したいと思っていたからです。

もうひとつは、コロナでディズニーリゾートが休園し、自分の仕事を見つめ直したときに“東京ディズニーリゾートに来られない人”に意識が向くようになったからです。

さらに、コロナ禍のいろいろなニュースを目にするなかで「ディズニーリゾートに行きたいけど行けない」「行くという選択肢すらない」という人たちの存在を感じるようになって、ずっとモヤモヤを抱えていました。

決め手となったのは、人事本部へ異動したタイミングで母校の大学から「キャリアに関する講義をしてほしい」と頼まれて、行ったこと。

いろいろなキャリアの話の最後に、質疑応答で学生から「今の仕事は楽しいですか?」という質問を受けて、即答できなかったんです。本当なら「社会人は楽しいよ」と伝えるのが自分の役目だったはずなのに「楽しいけど……」「やりがいはあるけど……」と煮え切らない解答しかできなくて。その瞬間に「これは、転職しなきゃダメだ」と思いました。

「やりたい仕事」と「届けたい相手」がカタリバで重なった

──なぜカタリバを選んだのでしょうか。

実は、もともとカタリバとは縁がありました。大学4年生で教育実習が終わったあとに、大学を休学して留学していたときのことです。

子どもとの関わり方を考えているなかで、選択肢のひとつとしてカタリバを見つけました。エントリーして選考を受けたら「実際に現場を見てほしい」と言われて、高校生を対象としたキャリア学習プログラム「カタリ場」(※2)に参加しました。

選考兼インターンのような形で経験を積むなかで、最後に選考官から「選考どうする?」と聞かれたので、「進みたいです」と答えました。当時はカタリバで、現在はパートナーとして関わっている教育コーディネーター・今村亮さんとも面接をして「一緒に働きたい」と言われたこともよく覚えています。

ただ、自分としては正直に「他の選考も受けています」と言いました。すると、亮さんは「大いに悩んでほしい。全部の選考が終わったらちゃんと話そう」と声をかけてくれて。最終的にオリエンタルランドで働くことを伝えたときも、「そうか、頑張れ!」と送り出してくれました。

だから迷うことなくオリエンタルランドへ行けましたし、カタリバは“熱い気持ちの人たちがいる場所”という印象をずっと抱いていて。「ご縁がつながって、どこかでまた巡り合うかもしれない」という予感はしていました。

──オリエンタルランドから転職するとき、カタリバ以外は選択肢になかったのでしょうか?

初めからカタリバに絞っていたわけではありません。ただ、人事系の求人を出しているところを主に見ていたのですが、いざエントリーシートを書こうとしてもなかなか筆が進まなくて……。

ところが、カタリバのエントリーシートは1万字ぐらい書けてしまったので(笑)。最終的にはカタリバに絞りました。

──何がそうさせたのでしょうか。

やはり、「やりたい仕事」と「届けたい相手」がマッチしていたことが一番大きいです。「日系大手企業からNPO」というキャリアチェンジに「大丈夫?」と心配してくれる人もいましたが、当時の僕としては「ここしかない」という気持ちでした。

(注釈)
※2 「カタリ場」
2001年にNPOカタリバが始めた、キャリア教育・学習のプログラム。大学生や専門学校生など少し年上の先輩との対話により、高校生の進路意欲を高めること、そして心に火を灯すことを目指す。現在は、北海道・関西・福岡のパートナー団体に業務委託している。

「NPOで働くこと」が
キャリアの選択肢として当たり前にあるように

── 入職後の話も教えてください。何かギャップを感じることはありませんでしたか。

いい意味でのギャップを感じる機会はあります。

人事と言っても僕はコーポレート人事ではなく、事業部人事としてキッカケプログラムの中でHRを担当しているので、日々現場の人たちのパートナーとして伴走する気持ちで働いています。そんな働き方は、自分がやりたかったことに近いですし、想いの源泉をたくさんもっている人たちを、面でサポートできていることにやりがいを感じていますね。

当然オリエンタルランドと比較したら規模は小さくなりますが、自分にとってはさほど大きな問題ではなかったです。「自分のやりたいことができている」と「人事としてのスキルが身についている」の両方が叶えられているので。

── オリエンタルランドと比較すると、任される業務領域も広くなると思います。

そうですね。あと、スピード感が早いことにも驚きました。「やりたい」と発言したら「じゃあ、やってみようか」とすぐに意思決定がなされる。カタリバのスピード感は今の自分に合っていると思います。

とはいえ、カタリバも組織として大きくなってきているので、オリエンタルランドで学んだビジネスにおける一般化・汎用化の視点を輸入する感覚で、それぞれの組織のいいところを活かして仕事をしていきたいです。

── 今後の目標について教えてください。

最近は、採用や育成のオペレーションに加えて、事業戦略の部分にも関わるようになったので、それを上手く遂行していきたいと思っています。具体的にはキッカケプログラムというサービスを子どもたちにより効果が高い状態で届けるための戦略を、ヒューマンリソースの立場から考える役割です。

あとは、キッカケプログラムのブランディングもしていきたいです。キッカケプログラムに関わってくれたメンター(支援人材)が、自身の就職活動の面接で「キッカケプログラムで働いていました」と言ったときに、人事から見ても「おっ」と一目置かれるようなポジションを確立していきたいです。

事業戦略、マーケティング、採用ブランディングと、横断的に考える機会は多いので、ビジネスセクターにも引けを取らないくらいビジネスパーソンとして成長できています。熱い気持ちがあれば、民間かNPOかの違いは大きな問題ではないと実感していますね。

カタリバへ入職してから1年経ったときに、オリエンタルランド時代の同期から「豊かに働いているね」と言われて、「自分の選択は間違っていなかった」と思ったのを、強く覚えています。もし同じように悩んでいる人がいたら、ぜひ一歩踏み出してほしいです。

── NPOをキャリアの選択肢に。

その通りですね。カタリバへの入職が決まったときにも、「生活できるの?」「NPOってボランティアでしょ?」などと言われましたが、まだまだ正しい理解がされていないんですよね。収益構造が違うだけで、他は何も変わらないのに。

僕がファーストペンギン(※3)として「ビジネスセクターからNPO、さらにビジネスセクターへ」というキャリアを描いてもいいし、「NPOでもこれだけのスキルが身についている」と言語化していきたい。そして、「NPOで働く」という選択肢をもっともっと一般的にしていきたいと思います。

(注釈)
※3 「ファーストペンギン」

新しい分野であってもリスクを恐れず、先陣を切って挑戦する「ベンチャー精神の持ち主」。

柔らかく、そして軽やかに人事としてのキャリアを描いている土屋。外部から目に触れる機会の多い人事だからこそ、彼自身が「NPOをキャリアの選択肢に」という言葉を体現していく意味は大きい。彼が前例のないキャリアを切り開いたその先に、新しい未来が待っているはずだ。

 

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Writer

田中 嘉人 ライター

ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。

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