「社会課題をチームで解決していくために」教育系NPOへ転職した元・広告営業の想い/NEWFACE
有田 いず美 Izumi Arita アダチベース
1993年、東京都生まれ。大学を卒業後、広告会社での勤務を経て2020年にカタリバへ入職。「アダチベース」では、高校生向けの経験学習プログラムの開発、食事提供、楽しくコミュニケーションをとりながら食卓を囲むための食卓づくり、メンバーマネジメントなどに携わっている。2023年4月からは慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程に在籍し、研究活動も行う。
ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、複業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。世界が一斉に経験したコロナ禍をへて、今後ますます働き方は多様に変化していくだろう。
そんな中カタリバには、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナーなど、多様なバックグラウンドを持った人材が就職してきており、最近は複業としてカタリバを選ぶ人材もいる。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?
連載「New Face」では、カタリバで働くことを選んだスタッフから、その選択の背景を探る。
カタリバにはさまざまな環境から移ってきたメンバーが在籍しており、これまでの経験や能力を活かして新しい輝きを放っている。
有田いず美(ありた・いずみ)もそのひとり。もともと広告会社で活躍していた彼女は、入社から4年目にカタリバへ転職。現在はカタリバが足立区から委託を受けて運営する、家庭の事情で放課後の居場所を求めている子どものための施設「アダチベース」にて経験学習プログラムの企画・運営や食事提供、楽しくコミュニケーションをとりながら食卓を囲むための食卓づくりを担当している。
なぜ彼女はカタリバへのチャレンジを決めたのか。原点にあったベトナムでの経験とは。
チームプレーだからこそ味わえる
楽しさや喜びを知って
──本題に入る前に就職活動時のお話を聞かせてください。新卒で広告会社へ入社するに至った経緯は?
チームで働く面白さを味わいたいと感じたからです。
私はもともとはすごく人見知りで、保育園に通っていた頃は先生から「ひとりでいるのはラクだけど、将来苦労するかもしれないよ」と声をかけられたこともありました。小学校低学年の頃は放課後いつも教室や図書室でひとりで過ごしているような子どもでしたが、4年生のある日、一人で教室で過ごすことにむなしさを感じたことをきっかけに友達の輪に入るように。委員会活動などにも取り組むようになり、チームで動くことの面白さにどんどんハマっていきました。
大学では本格的にチームスポーツであるタッチフットボールにチャレンジ。ありがたいことにキャプテンを任されて、ひとりだったら味わえないような楽しさや喜び、そしてつらさや悔しさを知り、仕事でも同様の感覚を追体験してみたくなりました。
また、タッチフットボールはマイナーなスポーツなので、「どうやったら知ってもらえるか」「どうやったら仲間、ファンを増やせるか」をずっと考えていたこともあり、大学の先輩に相談したところ「そういう考え方を持っているなら、広告営業いいんじゃない?」と。営業にこだわりはなかったけれど、会社の顔として、クライアントのパートナーとして価値を発揮していけるポジションは魅力的でした。
──具体的にはどういった業務を担当していたのでしょうか。
入社後配属になったのは、大手メーカーさんを担当するチームでした。私が任されたのは、メーカーの1ブランドのさらに1領域。「いかにしてリピーターを増やしていくか」がミッションでした。異動後は、どちらかというと新規の顧客を増やすための認知拡大をメインに、商品開発にも少し関わりました。
──かなりやり甲斐はありそうですが、なぜ転職を?
確かにやり甲斐はありました。幅広い業務にチャレンジできるのは楽しかったので。ただ、入社から3年が経って、漠然と今後のキャリアを考えたときに、「営業の仕事はやりがいがあるけど、自分よりも向いている人がいる」「もっとお互いの顔の見える範囲で働きたい」と考えるようになったことがきっかけです。
あの日ベトナムで迎えてくれた
無表情の子どもたち
──なぜ教育系NPOが選択肢に入ったのでしょうか。
高校時代の記憶を思い出したことが大きいです。
コロナが流行し始めリモートワーク用にデスク周りを整頓していたところ、高校1年生の秋冬ぐらいに行ったベトナムでのスタディツアーのレポートが見つかって。それなりに人生経験を積んできたけど、スタディツアーは私にとって不完全燃焼だったので、一気に記憶を呼び起こされました。
──具体的にはどういった記憶だったのでしょうか。
父から教えてもらって参加したベトナムのスタディツアーで、現地の方との出会いや様々な体験を通し、環境・貧困・平和・人権等を学ぶ内容だったのですが、行程のひとつに日本の国際協力機関の寄付で成り立っている孤児院へ行くことがあって。
私たちを含めた訪問団を孤児院の3歳から20歳くらいまでの子どもたちがウェルカムパーティで出迎えてくれたのですが、最初にダンスで出迎えてくれた3歳くらいの子どもたちがすごく無表情で……洋服も歓迎の気持ちを表現するために日本語で「愛」などの言葉が書かれたTシャツを着ているのですが、陽気な音楽のなかで無表情で踊る様子を見て、その場から逃げ出したくなるような感情に襲われたのを覚えています。
直感的に「支援者と被支援者の関係性だけではダメだ」「もっと歩み寄らなければいけない」と思い、ベトナムではずっとモヤモヤを抱えたまま過ごしていました。
部屋を片付けていたら、たまたまレポートが見つかったのですが、孤児院のページだけなぜか破られていて……破った記憶はなかったのですが「自分なりに相当思うところがあったんだろう」と。そこで初めて、「笑顔で毎日過ごせていない子どもたちのために生きる」という道がキャリアの選択肢になりました。
──なぜカタリバに辿り着いたのでしょうか。
カタリバについてはもともと知っていたことが大きかったかもしれません。東日本大震災当日、私は高校の修学旅行で京都に行っていたのですが、グラウンドにヒビが入って、その後しばらく休校になって。たまたま父がカタリバが開催する社会人向け勉強会に通っていたので、ついていって参加している大学の先生やさまざまな分野の大人、大学生と車座になって対話した時間がすごく記憶に残っていました。
その後アダチベースの存在を知り、「ベトナムへ行かなくても、自宅から数キロ先の足立区で何かできるなら……」とピンポイントでエントリーしました。
目の前の子ども達に
必要なことを考え、実行し続ける
── 一点突破でご入職を決められたわけですか。ほかは志望せず?
そうですね。カタリバだけです。
──すごいですね……現在はどういった業務を担当しているのでしょうか。
コロナ禍だったこともあり入職のタイミングでオンラインのアダチベースが立ち上がったので、私はオンライン自習室の開発を担当していました。2021年4月からは対面での中学生向けのクラス運営や教科学習のサポート、高校生向けの経験学習プログラム、プロジェクト学習などを担当。2023年4月から中学生向けの学習は別のメンバーに引き継いで、現在は子どもたちへの食事提供も担当しています。
──入職前に思い描いていた働き方と現実にギャップはありませんか。
想定していたよりも、いろいろなことにチャレンジできている感覚はあります。今ではオンラインでの学び方や働き方がすっかり定着しましたが、オンライン自習室の開発も当初はかなり手探りでした。食事に関しても黙食が解禁されて共食に移っていくなかで必要なことを考えていかなくてはいけないので……。正解がないから不安になることもありますが、個人的には楽しめています。
──ご自身の収入面の不安はありませんか。
正直、当初はありましたが、特に生活水準が下がったようなことはありません。転職前は外食する機会も多かったのですが、現在はシフト制での勤務のため健康を考えて自炊を始めるなど、ライフスタイルに合わせたお金の使い方ができるようになってきました。自炊スキルが上がったので、子どもたちに食事を提供する際も、楽しみながら調理しています。
──やり甲斐を感じるのはどのようなときでしょうか。
やはり、チャレンジの機会が多いことですね。たとえば、最近はマネジメントの機会も多く、「どこまで自分が入り込んで、どこからは委ねるか」みたいなところで試行錯誤しています。会社員時代は年次が下でマネジメントする機会はまったくなかったので、難しさはありますが、だからこそハッピーな成果が出るとうれしいし、自分の成長を感じます。
──逆につらかったのは?
2つあります。ひとつは、子どもの対応に優先度をつけなければならないこと。子どもたちによって困難の度合いは違うし、先にフォローしなければいけない子どもがいることを頭では理解しているのですが、最初はかなり戸惑ってしまいました。
もうひとつは先ほどの話にも通じるのですが、マネジメントです。学生スタッフのマネジメントで折り合いがつかなくて、1on1(個別面談)の途中で急に私が泣き出してしまったことがあって……(笑)。今思えばほかのメンバーに頼るなどいくらでも手立てはあったのですが、当時はかなり思い詰めていましたね。
──ありがとうございます。では、今後の目標についても教えてください。
ありがたいことに民間企業からカタリバへ転職する人が増えてきています。NPOの見られ方が変わってきているということは、世の中の流れも少しずつ変わってきているということなので、だからこそチーム単位でできることを追求していきたい。
私としては2023年4月から大学院に通い始め、現場に軸足を置きつつも大きなイシューとも向き合っていきたいと考えています。困難を抱える子どもたちの声をいち早く世の中に届けていくことも、私たちだからこそできることですからね。
世の中全体が少しずつ社会課題と向き合うようになってきている。しかし、課題の本質にアプローチすることは困難も伴う。
今後、社会課題への関心が深まっていくにつれ、NPOはますます真価が問われるようになるだろう。だからこそ、彼女は個人ではなくチームプレーで課題に挑み続ける。それが、同じ志で社会課題と向き合うことを決めた仲間たちが集うカタリバ最大の強みだからだ。
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田中 嘉人 ライター
ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。
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