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KATARIBA マガジン

ユースセンターを当たり前に。子どもたちと向き合い続けて見つけた「社会を変える」ための道筋/Spotlight

vol.282Interview

date

category #インタビュー #スタッフ

writer 田中 嘉人

Profile

吉田 愛美 Manami Yoshida ユースセンター起業塾 チームリーダー

1991年福島県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。地元の力になりたいと、転職を経て地元選出の国会議員秘書を勤めた後、2016年1月より現職。コラボ・スクール大槌臨学舎で広報・事務・教務(中学校)を担当した後に、全国高校生マイプロジェクト事務局にて学校支援や広報を担当。現在はユースセンター起業塾にて、10代のための居場所を立ち上げたいという団体や個人を支援している。

度重なる自然災害やコロナ禍など、昨今は社会全体、さらには子どもたちの置かれる環境に大きな影響を与える出来事も少なくない。

すべての10代が意欲と創造性を育める未来の当たり前を目指し、全国各地で活動を行っているカタリバ。
その現場では、状況の変化に合わせて取り組みの内容を柔軟に進化・変化させつつ、目の前の子どもたちに向き合っている。

シリーズ「Spotlight」では、現場最前線で活動するカタリバスタッフの声を通して、各現場のいま、そして描きたい未来に迫る。

2021年、カタリバが新たにスタートした日本全国で10代の居場所づくりに取り組む方々を支援するインキュベーションプロジェクト「ユースセンター起業塾」。

同じ志で子どもたちと向き合うまさに“同志”を募り、伴走することで、子どもたちに学校でも家庭でもない「第三の居場所」と「ナナメの関係」を届けていくための取り組みだ。

このプロジェクトのチームリーダーが吉田愛美(よしだ・まなみ)。もともと現場で子どもたちを支援してきた彼女だからこそ語れるユースセンターの存在意義や、彼女の今までの歩みをお届けしたい。

何者かになりたい。そう思っていたけど……

――本題に入る前に経歴から教えてください。

大学時代は、ひたすらバイトに明け暮れるような生活を送っていました。塾講師、家庭教師、スーパーの店員、結婚式場スタッフ……とにかくいろんなバイトを経験しました。

漠然と「教育」や「児童問題」に興味があったのですが、大学入学のタイミングでやりたいことがわからなくなってしまって……「何者かになりたい」という気持ちはあったので教員免許は取得したものの、勉強やゼミにも夢中になれず、考える時間を埋めるようにバイトしていました。

だから就職活動もそこまで本気で取り組めていなくて。就職活動のイベントで声をかけてくれた不動産系の会社へ入社しました。イベントに参加していた人事担当に「教育系に興味があるなら新規事業でやればいいよ」と背中を押してもらったのですが、入社後は営業チームへ配属。必死になって営業に取り組んでいたら、イベントで声をかけてくれた人事担当は海外へ異動。「結局、新規事業なんてできないんだ」と希望を失い、退職を決めました。

その後、祖父の紹介で地元・福島の国会議員秘書になりました。当初は「ゆくゆくは市議会議員になろう」と意気込んでいたのですが、電報を打ったり、長い陳情を聴き続けたりする以外は何もできない環境で……能動的に動けない状況が続いて体調を崩し、議員秘書も辞めることにしました。

カタリバなら本気になれるかもしれない

――なぜカタリバへ?

教員免許を取得する過程でカタリバについては知っていたのですが、「働きたい」と思ったのはポケットマルシェ代表で「東北食べる通信」創刊者の高橋博之さんの存在が大きいです。

その頃、高橋さんの本を読んで感銘を受けていたこともあり、東京で車座をやっているというので参加したところ、「カタリバっていう面白い団体があるよ」と言われました。

特に震災以降、心の底には「東北のために何かしたい」という気持ちがあったので、東北に拠点があるカタリバに運命を感じたのかもしれません。

――決め手は何だったのでしょうか?

最終面接での出来事ですね。感極まって号泣してしまったことがあって。

最終面接を担当してくれたのは、当時の理事と大槌臨学舎(10代のための放課後の居場所)の統括担当・菅野の2名。理事が菅野のキャリアやカタリバにかける想いを教えてくれたのですが、「あなたには菅野と同じぐらいの覚悟はありますか?」と問われて、即答できなかった。

漠然と「東北のために」という気持ちはあったけど、菅野ほど本気で考えきれていなかったことに気づかされたし、悔しかったし、感動もして、感情がぐちゃぐちゃになって涙が溢れてきてしまいました。同時に、受験勉強以来一生懸命になることから逃げていたことに気づいたし、「ここなら本気になれる」と感じ、覚悟を決めました

現場での経験を糧にマネジメントへ

――入職後は、大槌臨学舎、マイプロジェクト(実践型探究学習 以下、マイプロ)とキャリアを歩んでこられたと聞きました。ご自身に変化はありましたか?

視点は大きく変わったと思います。大槌臨学舎はまさに“現場”という雰囲気。カタリバというよりも臨学舎に就職した気持ちでした。とにかく現場に入って、子どもたちのためにできることを必死で考える毎日を送っていました。「些細な関わりでも子どもってこんなに変わるんだ!」という気づきを得られたことが最大の学びでしたね。

今思い返すと、あの子たちの存在がなければ今の私はいないかもしれません。メンタルが不調だった私にとって、子どもたちの成長は癒しであり励みでもありました。間違いなく私にとっても成長の機会になっていたと思います。

大槌臨学舎で子どもたちへ伴走する吉田

その後、後ろ髪を引かれる想いでマイプロへ異動するのですが、事務局メンバーとして携わっていたこともあり、現場とは距離が生まれて、“自分がやる”というよりも“現場の方々にやってもらう”という状況に。当然頭の使い方も違うし、自分ひとりが必死になったところで何かが変わるわけではないので、最初はかなり苦労しましたね。でも、現場に立つ方々の視点に立って取り組むことで、少しずつ成果が出てくるようになったと思います。

――その後、ユースセンター起業塾に携わるようになります。まずプロジェクトの概要を教えてください。

「子どもたちのために何かをしたい」「気軽に立ち寄れて、家や学校にはない関係性を築ける場所をつくりたい」という方々を支援しています。団体や個人へ資金支援も含めた伴走をするのは、カタリバ初の取り組みです。

私が担っているのは、チームのリーダー的ポジション。業務委託を含めた5人のメンバーが支援団体との定期面談を通した進捗の確認や悩み相談、団体間のネットワークづくりやカタリバのノウハウ共有などを進めています。ユースセンター自体は全国的にまだ認知度が低いので、価値づけや情報発信などにも力を入れている最中です。

“個”だけでは生み出せないものを

――支援する団体や個人の方たちはどういう方たちなのですか?

それぞれ特徴は異なります。もともと教育支援をしていた団体が「プラスで居場所があるとよりできることが増える」と申請してくれたケースもありますし、「教育支援を1から始めたい」と異なる分野から参入したケースもあります。

ちなみに、2022年に初めて募集した事業創造コースには44の団体から申請があり、採択されたのは14団体。2023年は55団体の申請がありました。申請してくれた団体のなかには「不登校の子どもが通う場所がないから」と保護者の方が手を挙げたケースも。本当はなるべく多くの団体を支援していきたいのですが……そこまでリソースが行き届いていないのが実情です。

――団体や個人への伴走は成果が出づらい印象を受けるのですが、いかがでしょう?

1年では難しいですね。実際に支援する団体の方々も、ユースセンターを立ち上げたところで子どもが来なかったり、学校の先生に反対されたりと苦労されている印象です。

ただ、ユースセンター起業塾があるからこそ、地方にいる方たちの横のつながりを生み出して孤独感を軽減できる。参加されたみなさんはモチベーションが高い人ばかりなので、お互いに励まし合いながら学び合っているのを目の当たりにすると、「コミュニティをつくって良かった」と感じます。

同時に、みなさんの心の火が消えないように酸素を送り続けるのが私たちの役目だとも思っています。

――うまくいっている事例はありますか?

どの取り組みも面白いですが、石川県珠洲市(すずし)で活動する「ガクソー」は、カタリバにないものを持っている印象を受けます。

芸大出身の方たちがデザインやアートの文脈から子どもたちにアプローチしていて、何か決まったプログラムを提供するというよりも子どもたちが考えていることに付き合うスタイル。とても自由な雰囲気で、子どもたちだけではなく地域の人たちが「本貸して〜」と立ち寄るような多世代の居場所にもなってきていると聞いています。

どんな子どもにだってユースセンターは必要

――吉田さん自身、アップデートが求められ続けていると思いますが、プレイヤーからマネジメントに移ることで考え方に変化はありましたか?

マネジメントラインになると、自ずと“自分以外の誰かに手を動かしてもらう”ことになります。自分が現場に立つことは大好きだけど、マネジメントラインだからこそ大きいインパクトを残せるかもしれないし、もしかしたら自分の想像以上の結果が生まれるかもしれません。「社会を変える」、そのための道筋が少しだけ見えてきたような気がしています。

――ユースセンター起業塾のリーダーポジションとしてクリアしたい目標があれば教えてください。

ユースセンターを地域にとって当たり前の場所にしていくことです。理想は、中学校区に1つ以上ユースセンターをつくることです。

ユースセンターが必要なのは、不登校の子どもや被災地の子どもだけじゃない。一見普通に生活している子どもだって、その子なりの悩みがある。第三の居場所を通して、あらゆる子どもたちが自由に羽を伸ばせるようにしたいですね。

そのための壁はたくさんあるかもしれないけれど……地域で「やりたい」と思っている人がやれる環境をつくるのがベストだと思っています。「子どもたちのために何かしたい」と思って行動する人が全国でひとりでも増えるように、どんどん成功事例をつくっていきたいです。

――今後、ご自身のキャリアとして目指していることはありますか?

やはり、現場へ戻ることですね。私はどちらかというとファーストペンギンになるというよりも、ファーストペンギンを目指す人を支える黒子役の方が合っていると思うのですが、たまに現場の目線を失ってしまいそうでドキッとすることがあります。

自分たちが考え・行動してきたことが子どもたちにきちんと届いたか見届けるためにも、いずれは現場に戻りたいですね。

吉田とユースセンター起業塾のメンバー

取材後、「大槌・マイプロ・ユースセンター起業塾と毎回ステージが変わるたびに、自分ってまだここが伸びしろだったんだと気づく」と語った吉田。

現場で子どもたちと関わっているときでも、中間支援的な関わりをしているときでも、いつも”子ども”を真ん中に置いて話しているのがとても印象的だった。

 

この連載の記事
「ここがあったから夢が見つかった」という居場所をつくりたい。被災地の子どもたちとの8年間
「“問い”はいつも現場にあるから」震災を機に被災地に移住した彼の10年間
「学校を最も豊かな学びの場に」探究学習の先進地・双葉みらいラボが見据えるこれから 
支援現場から「こども家庭庁」へ。10年間子どもたちと向き合い続けた彼の、新たな挑戦

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Writer

田中 嘉人 ライター

ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。

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