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KATARIBA マガジン

「複業で、多様な視点を身に付けたい」教育スタートアップで働く青年が、カタリバを選んだわけ/NEWFACE

vol.188Interview

date

category #インタビュー #スタッフ

writer 田中 嘉人

Profile

渡邉 慎也 Shinya Watanabe 外国ルーツの高校生支援プロジェクト 学校連携コーディネーター

1991年、韓国に生まれる。父は日本人、母は韓国人。香港で育ち、アメリカの大学在学中には課外教育プログラムづくりに携わる。大学卒業後、シカゴの広告代理店でのインターンや香港で塾講師などを経験し、再度アメリカの大学院へ進学。学校内外の教育政策について学んだのちに、日本へ。教育系スタートアップにて英語教育や海外研修プログラム事業の企画・運営を担当。外国にルーツを持つ生徒の支援に興味を持ち、2020年6月よりNPOカタリバの「外国ルーツの高校生支援プロジェクト」にも参画する。

ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、複業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。世界が一斉に経験したコロナ禍をへて、今後ますます働き方は多様に変化していくだろう。

そんな中カタリバには、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナーなど、多様なバックグラウンドを持った人材が就職してきており、最近は複業としてカタリバを選ぶ人材もいる。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?

連載「New Face」では、カタリバで働くことを選んだスタッフから、その選択の背景を探る。

複数のキャリアを並行して歩むことで、自分らしい人生を描いていく「複業」という選択肢。カタリバでも複業としてコミットし、自身の専門性を発揮しているスタッフがいる。

彼の名前は、渡邉慎也(わたなべ・しんや)。学校と連携して中高生向けプログラムの企画・運営を手がけるタクトピア株式会社で働きながら、カタリバの外国ルーツを持つ高校生支援プロジェクトに参画。学校連携コーディネーターとして活躍している。

なぜ彼は、二足のわらじを履くことにしたのか。そして、どこへ向かうのか。

日本で暮らす外国ルーツの子どもたちの
力になりたい

ー早速なのですが、なぜ複業をしようと思ったのですか?

「日本に暮らす外国にルーツを持つ子どもたちの力になりたい」と思ったからです。

さかのぼれば、高校時代から教育関係に関心があり、その後アメリカや香港で活動していました。2018年頃に日本に来てからは、中高生を対象とした研修プログラムの企画・運営を手がける企業へ入社。ラーニングデザイナーとして働き始めました。

ただ、仕事で外国にルーツを持つ子どもたちと接しているうちに「自分自身と重なる姿が見えて、自分も彼ら・彼女らのために何かしたい」という気持ちが大きくなっていって。その頃ちょうど「外国にルーツを持つ子どもたち向けのチームが結成される」というカタリバの広告を発見し、応募しました。

ー外国にルーツを持つ子どもたちへの課題意識は、ご自身のバックグラウンドが関係しているのでしょうか?

そうですね。高校時代までを過ごしていた香港では、周りはほとんど香港にルーツを持つ人たち。

自分の日本人や韓国人といったアイデンティティを意識する環境ではあったと思います。さらに強く意識することになったのは、大学でアメリカに行ってから。アジア圏からアメリカに移ると、周りからの見られ方が人種ごとに異なる感覚や、自分自身もそういうフィルターで他人を見ているのかもしれないなという感覚もあって。

うまく言語化できないんですが、きっとそれって経験してみないとわかりづらい感覚でもありますよね。

ー具体的にはどういったときに違和感を抱いたのでしょうか?

違和感を抱くシーンは、日常にあります。レストランでの扱いなどで感じることもありました。ただ、わかりやすく何か嫌なことを言われることだけではなくて。ほんの少し雑な対応とか、あまり嬉しくない声がけとか。「自身の外面的アイデンティティのせいで、このような扱いを受けるのだろうか?」という問いが、頭の片隅で根付く感覚です。

たとえば語学に関してもそうです。「アジア人は英語が上手ではない」というバイアスがあるから、いざ喋ると「アメリカ人のように喋るね」という言い方をされる。そういう場面に出会ったり、自分も当事者になったりして、違和感は大きくなっていきました。

教育に携わる人間は、いろいろな形の教育を知るべき

ー今回、なぜ複業という方法を選んだのでしょうか? 専業で関わっていくという道もあったと思いますが。

「いろいろな人の考えに触れていきたい」と思ったからです。

物事って、ひとつの環境しか知らないとひとつの視点で見てしまいがちです。教育においても、同じだと思うんです。ある環境だけに身を置いていることで、自分の判断基準がその環境のなかでしか通用しないものになってしまう危機感がありました。

教育に携わる立場にいるからには、自分自身が色々な環境や背景に身を置きながら、視点を広げなければいけないなと思って。

だから専業ではなく複業で関わろうと考えました。

ー教育に携わる人間が多様な視点を身に付けることには、どのような意味があるのでしょうか?

教育って、“正解”がすごくわかりにくいと思うんです。ひとつの教育観だけを正として追求しようとすると、それ以外を除外しなきゃいけなくなってしまう。ある生徒にとってはいい教育観だとしても、他の生徒には別の教育観のほうがいいことも多々あります。

だからこそ、教育に携わる人間はいろいろな形の教育を知ることが大事なのではないでしょうか。ひとつの教育観をそのまま横展開できなくても、掛け合わせることで、いい形になることもあるでしょうし。いずれにしても、知らなければできないことなので。

ーカタリバともうひとつ、教育系スタートアップでの業務に関わっていると聞きました。業務内容についてお聞かせいただけますか?

学校と連携した、中高生向けのプログラムの企画・運営を手がけているタクトピアという企業で、ラーニングデザイナーとして活動しています。

具体的には例えば、修学旅行という既存の学校行事のプログラム設計や、新規プログラムの企画から関わっていくような仕事をしています。私たちがつくるプログラムでは、子どもたちに対して「圧倒的な原体験」を提供することを大切にしており、アントレプレナーシップやアート、リベラルアーツなどの能力や視点を育むコンテンツを、修学旅行などの活動のなかに取り入れています。企画から運営までを一貫して手がけ、継続的な学校プログラムにしていく仕事です。

ーラーニングデザイナーとしての仕事において意識していることはありますか?

子どもたちがいままで出会ったことのない人と出会ったり、触れたことのない価値観に触れることで、新しい興味関心が生まれたり、これまで気づかなかった自分の持つ能力に気づいたりできるような企画を考えたいと思っています。

もう少し具体的にいうと、学校ではあまり目立たず学校生活に楽しさを見つけられていないような子どもがモチベーションを高められるような場にしたいんです。最終的に少しでも考え方や気持ちをアップデートしてもらえたら嬉しいですね。

子どもたちのためにできることは、まだまだある

ーカタリバでの仕事内容についても詳しく教えてください。

都内の定時制高校と連携し、外国ルーツの生徒たちが勉強したり進路について考えたりできる場所をつくっています。

そのために、先生たちと一緒に年間カリキュラムやプログラムを考えたり、細かいところでいうと言語サポートに入ったり、あるいは進路相談に乗ったり、オンラインで学習支援をしたり……という毎日ですね。「生徒たちのためにできることは全部やる」という感じです。

ー難しいと感じる部分はどのあたりでしょうか?

タクトピアでの仕事が修学旅行などの年間行事にスポット的に関わるもの、かつ学校の外で行う活動なのに対し、カタリバでは学校の中に入って1年間じっくり関わっていくところが大きな違いです。その辺りのペースの違いに慣れたり、学校関係者との連携の取り方に最初は苦労しました。

結局、場数を踏むなかで慣れていったんですが、大事なのは「生徒に目指して欲しい姿」を先生たちからしっかりとヒアリングし、どうすれば近づけるかを議論していくこと。ぼくらが一方的に「こうすべき」と言ったところで、生徒たちと長い時間を過ごしている先生たちの協力がなければ絶対に実現はできないんですよね。イメージを共有し、お互いの得意分野を発揮しつつ、関係性を積み重ねていくことを意識しています。

ーご自身のバックグラウンドが仕事に活きる場面はありますか?

なんといっても生徒と喋っているときですね。

ぼくの育った環境と生徒たちが置かれている環境は、もちろん違う部分もあるのですが、そのなかでも共通の感覚や経験があるので。そのあたりを共感、理解できる部分は大きいと思います。

あとは、言語ですよね。ぼく自身が日本語以外に英語、韓国語、そして中国語も少し話せます。「日本語ではうまく話せないけど、中国語ならうまく話せる」「自分のことを話すときは英語で、学校のことを話すときは日本語」みたいな生徒とも、それらの言語を使ってコミュニケーションを取る役割を担っています。

ー複業というライフスタイル自体はどうでしょうか?

そうですね……それぞれの組織の仕事で頭の使い方も仕事の進め方も全く違うので、結構エネルギーを使いますね。個人事業主なので、会社に所属していれば考えないようなことも考えなくてはいけないし。実際にやってみて、大変だなと感じる部分もあります(笑)。

ー複業をやってきて、ご自身にプラスの影響が出ているとしたらどのような点でしょうか。

いままで関わったことのないバックグラウンドを持った生徒たちと関われている点ですね。また、タクトピアではスポットで非日常のプログラムを作ることに関わってきましたが、カタリバで学校と連携して新しいカリキュラムや制度づくりなど生徒の日常的な部分に関わるようになったことで、視野も広がったと感じています。

ー最後に、今後の目標について教えてください。

高校生の頃から10年以上教育の文脈でいろいろやってきましたが、まだまだ若い世代のためにできることはあると感じています。このままずっと教育のフィールドでやっていくのかどうか考えることもありますが、生徒の可能性を広げていく仕事にぼくは意義を見出していて。自分が培ってきた視点や自分の経験などを活かしながら、教育の仕組みづくりをしていきたいですね。今後住む国が違っても、立場が変わっても、それだけは変わらないような気がします。

渡邉たち、カタリバの「外国ルーツの高校生支援プロジェクト」が活動を行う都内の定時制高校の生徒たちと。後列右端が渡邉。

 

「子どもたちを見ていると『もっとできることがある』と思える。それが一番のモチベーションかもしれません」

最後に渡邉はこう結んだ。「もっとできることがある――」。それは渡邉が、多様な立場から教育と向き合いスキルを身に付けてきたからこそ、自然と発せられる言葉のようにも感じる。さまざまな専門性や立場から子どもたちと向き合うその姿こそ、いまの教育現場が必要としているものなのかもしれない。

*外国ルーツの高校生支援プロジェクトの詳細はこちら

 

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Writer

田中 嘉人 ライター

ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。

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