「人それぞれの良さを伸ばしたい」26歳で外資系コンサルからカタリバへ転職したわけ/NEWFACE
ここ10年で、仕事のあり方・捉え方は、まったく違ったものになってきている。終身雇用は崩壊、転職は当たり前のものとなり、副業やフリーランスも一般化。テクノロジーの発達によって無くなる仕事予想も大きな話題となった。給料や肩書よりもやりがいや意味を重視する若者も増え、都会から地方にUIターンすることも珍しくなくなった。NPOへの転職も震災以降増え、カタリバにも、元教員・ビジネスセクターからの転職・元公務員・元デザイナー、多様なバックグラウンドを持った人材が毎年転職してきている。その多くは20代・30代。彼らはなぜ、転職という人生の大きな決断で、いまNPOを、いまカタリバを選んだのか?
連載「New Face」では、入社1,2年の新入職員たちがカタリバで働くことを選んだ、その選択の背景を探る。
東京都足立区。下町のとある駅から歩いてほどなくのところに、カタリバが運営するアダチベースはある。アダチベースとは、地域に暮らす子どもたちにとって心の安全基地。さまざまな困難を抱えている子どもたちに、学習や体験、食事の場所を提供している。
アダチベースの職員・野倉優紀は、もともとは外資系コンサルティング会社のコンサルタント。ビジネスの第一線で活躍していた彼が、なぜカタリバを選んだのか。外資系コンサルからNPOへ。その軌跡を辿ってみたい。
学校教育は評価軸が少なかった
ー小学生の頃に社会問題に関心を持つきっかけがあったと聞きました
具体的にはどのようなことがあったんですか?
厳密にいうと、「社会問題に関心がある小学生だった」というわけではないんですけど…
ぼくは新潟出身で、全校生徒60人くらいの小学校に通っていました。比較的勉強も運動も好きだったんですが、同級生、特に女子とのコミュニケーションだけはどうも苦手で。うまく話せない自分にモヤモヤしながら過ごしていました。
周りを見渡すと勉強や運動は苦手でも、コミュニケーション力が非常に高かったり、人前で話すのがズバ抜けて上手だったり、単純に話すことがすべておもしろかったりする同級生がいるんです。でも、学校という枠のなかでは、勉強や運動ができないと成績に反映されない。というか、そういう同級生たちは、どちらかというとよく先生に叱られるタイプなんですよね。当時の学校教育における評価軸の少なさに違和感を覚えたことがきっかけかもしれません。単純に、自分にない能力を持っている同級生たちがうらやましかったというか。
ー中学、高校はどのように過ごしていたのでしょうか?
コミュニケーションへの苦手意識が高かったこともあり、中学時代は放送委員会に入ったり、部活のキャプテンを務めたり、生徒会長も経験しました。その甲斐もあって、人前で話すことへの苦手意識は徐々に薄れていきましたね。
実家が建築業を営んでいるので「将来的に家業を継ぐのかな」なんてことも考えつつ、選択肢を狭めないように普通科の高校へ進学しました。ただ、いざ大学進学を前にすると小学校時代に覚えた違和感を思い出すようになって。教育の観点から、単純に「勉強ができる」ということではなく、もっと多様なはずの『人それぞれの良さ』を伸ばせるようなことがしたいと考えるようになっていったんです。もともと英語が好きだったこともあり、英語の教員になるべく大学進学しました。
ー教員を志していた若者が、外資系コンサルに
どういった心境の変化があったんですか?
ずっと教員になりたい気持ちは持ち続けていました。とくに支援が行き届いていないような公立学校の教員ですね。国立や私立の学校はある程度支援が足りていると思ったので。
ただ、就職活動を一切しないまま教員になると、社会に出るタイミングがなくなってしまうんですよね。そこで、就職活動を通じていろんな業界のいろんなひとたちと話を聞いてみようと思いました。特に人材業界や教育業界を中心に活動していたんですが、話を聞くにつれてビジネスの現場のおもしろさにも惹かれるようになっていって……ただ教師という夢も諦められないので「教師になる前に企業で働く」という道を選びました。
最終的にコンサル業界を志望した決め手は「短期間で企業の経営層と仕事ができる力を求められる環境で、多業種にて仕事ができそうだったから」です。ビジネスの基礎知識や対人コミュニケーション、論理的思考力、課題解決力……このあたりの能力を、網羅的に習得できそうなのも魅力でした。
コンサル業界で静かに
燃やした情熱の炎
ー数年後に教師になることを前提に就職した、と
そうですね。「いつか教師になりたい」という志を燃やしながら、コンサルタントとして働いていました。
具体的な仕事内容は、不動産システムのコンサルティングです。クライアントのパートナーとして、システムの大掛かりなサーバ移行の指揮をとったり、チームのマネジメントをしたり、何かトラブルが起きたら解消するための手立てを考えたり……裁量が委ねられ、膨大な金額が動くプロジェクトでした。
それこそ、忙しいときは12連勤なんてこともありましたよ(笑)
ーそんなに忙しいと「教師になりたい」という気持ちも消えてしまいそうですが…
それはなかったです。というのも、仕事以外で知り合いが運営している「原っぱ大学」という子ども向け教育サービスの会社に月に1〜2回顔を出させてもらっていて。子どもたちと触れ合ったり、同じような志のひとたちとSNSでやり取りしたりしていたら、気持ちが消えるどころか、徐々に大きくなっていったのを覚えています。
ーでは、教育業界へ飛び込むはずだった野倉さんはなぜカタリバに?
まずはカタリバを知ったきっかけからお話ししますね。
もともとの転機となったのは、大学時代、友人に誘われて参加した社会問題の解決に興味関心のある学生向けのスタディキャンプでした。舞台は東日本大震災から2年後の福島。自分がなかなか被災地に足を運べていなかったので、行ってみようと思いました。
被災してしまったひと、そして復興に向けてチャレンジするひと、本当にいろいろな大人に会いました。とくに心に残っているのは、移動型の保育で福島の子どもたちに遊ぶ機会をつくっている社会起業家との出会いです。自ら現地の課題を抽出して、リーダーシップを持って解決策を推進している姿はシンプルにカッコ良かった。出向いたからこそ肌で感じられたのだと思います。そんな機会に誘ってくれた友人が新卒入職したのがカタリバでした。お互い就職してからもカタリバの話はよく聞いていました。
そして、いざ教育業界への転職を考えたとき、いろいろ話を聞いてみると、単純に教員になっても学校教育そのものを変えていくことは難しいような気がして。「5年後、10年後に必要とされるであろう教育」に関わることへの興味関心が強まってきていたこともあり、ベンチャーのようなカルチャー・規模感で、より先進的な取り組みにチャレンジしていているところを探していたところ、カタリバに行き着きました。
大きな決め手となったのは、カタリバの実践型探究学習プログラムであるマイプロジェクトです。いわゆるテストでいい点数をとることを目指す学習も大事だけど、周囲の課題を見つけて解決する力を身につける教育も同じくらい大事だと思っていて。実際にカタリバはマイプロジェクトに組織的にもリソースを割いているし、知名度も高かったので、迷わず応募しました。小学校時代に抱えていたモヤモヤと、カチッと重なったような気がしましたね。
教育の“複雑さ”に魅了されて
ーいよいよカタリバへ入職
「アダチベース」という配属先は野倉さんにとってどういう意味があるのでしょう?
アダチベースもマイプロジェクトへの挑戦機会を届ける場所のひとつなんですよ。子どもたちに日々向き合って、職員がツールを提供したり、勉強会、発表会を企画したりすることも、マイプロジェクトに挑戦するきっかけづくりの一環でもあります。
アダチベースがマイプロジェクトの現場だとしたら、カタリバ本体は旗振り役といったところでしょうか。現場にいるからこそ、表舞台には出てこない小さな”マイプロジェクト的”な挑戦の芽を発見して育てたり、元々知らなかった教育・福祉の現場に必要な支援のリアルが分かってきました。だから、アダチベースへの配属にはものすごく納得感がありますし、アダチベースで働く時間はぼくの将来にとって大きな財産になるような気がしています。
カタリバに限らず、NPOってあまり新卒採用しないんですよ。だから、いわば「即戦力」であることが期待されているし、細々と指示がされることはない。「目的」だけが共有され、「手段」は各々に委ねられます。そのときに優先順位の立て方、効率的な進め方などは、いましか学べませんからね。
ーコンサルタント時代の経験で、いまの仕事に活きていることはありますか?
大きく分けるとふたつあります。ひとつ目は、テクニカルスキルです。具体的にはExcelで関数を使って作業を効率化したり、PowerPointでわかりやすいプレゼン資料をつくったり。あくまでも一般的なスキルですが、現場では役立っています。
ふたつ目は、事業全体を俯瞰する視点を持ちながら、インプット・アウトプットする習慣があること、でしょうか。前職のプロジェクトマネジメントにおいては官公庁や行政が発行しているさまざまな資料を探し出して情報収集をしていましたが、現在も官公庁や行政向けの仕事が多くて。たとえば一見小難しいような資料であっても、前職で読み込みまくった経験があるので、抵抗なくインプットできる。それに、世の中の市況や情勢などをキャッチするクセもついているので、事業を取り巻く環境と、目の前で起こっている現場の状況を踏まえたアイデアやアプローチができるような気がしています。
ー野倉さんが考えるカタリバの仕事の醍醐味は何でしょうか
教育のおもしろさのひとつとして、複雑さが挙げられると思います。過去に通用した手法であったとしても、いま通用するとは限らない。「A」の次が「B」、「B」の次が「C」……という世界ではなく、「A」の次が「S」になったり「Z」になったりする世界です。さまざまな外的要因によって変わってくるものなんです。そこを「大変」と感じるか、「おもしろそう」と感じるか。「変数が多くて複雑なほうが燃えます」という方には、かなり楽しめる環境だと思いますよ。
ーありがとうございます
最後に今後の目標について教えてください
そうですね……やはり自由度が高いので、今後は自分がオーナーシップをもって事業をつくりあげたいと思っています。世の中の課題を自分で見つけて、持続可能なソリューションを自分で考えて実行していく。0→1(ゼロイチ)で事業をつくる醍醐味を感じてみたいと思っています。
ぼくは仕事が大好きで、たとえば50歳になっても新しいスタートを切ることを許容できる世界をつくっていきたい。何歳でも自分を変えていける。その可能性を信じたいし、周りにも信じてほしいので。自分ができることは小さいかもしれないけど、眼差しだけは未来を見据えて、取り組んでいきたいと思います。
ー「“NPOで働く”という選択肢をメジャーにしたい」
最後に彼はこう結んでくれた。
彼がこれから歩む道のりは、わたしたちの子ども、そして孫の世代の礎になるだろう。学校の教室で見落とされてしまいそうな小さな、でも確かな輝きを放つ個性が、見過ごされるのではなく、見出される世の中にすべく、野倉は前へ進む。
取材・文・写真=田中嘉人
企画・編集・バナーデザイン=青柳望美
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田中 嘉人 ライター
ライター/作家 1983年生まれ。静岡県出身。静岡文化芸術大学大学院修了後、2008年にエン・ジャパンへ入社。求人広告のコピーライター、Webメディア編集などを経て、2017年5月1日独立。キャリアハック、ジモコロ、SPOT、TVブロス、ケトルなどを担当しながら、ラジオドラマ脚本も執筆。
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