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10代interview/桜子さん「大槌臨学舎は“こんな人になりたい”憧れが見つかる場所。」

vol.024Interview

date

category #10代 #インタビュー

writer 編集部

震災の悲しみを乗り越えて見つけた、桜子さんの未来の道。

カタリバが“震災の悲しみを強さへ”をコンセプトに、岩手県大槌町で心のケアと学習支援を行う、被災地の放課後学校、コラボ・スクール「大槌臨学舎」。中学生3年生から4年間、大槌臨学舎に通っていた桜子さん。東京で昼間は大学事務の仕事をしながら大学の夜間部に通い、観光や街づくりについて学んでいるという。「大槌臨学舎があったから、今の私がいます」と話す、彼女の大槌臨学舎の思い出とは。

震災後はじめての夏休み。
大槌臨学舎があったから、勉強できた。

はじめに、震災当時のことを少し聞かせてもらえますか?

あの時、私は中学2年で。震災があった日は、卒業式の前日でした。先輩たちを送り出す準備だけで、早帰りだったので、午後は友だちの家に遊びに行ったんです。

友だちとゲームをしていたら、急にテレビの画面がパッと消えて。「え、何?」と思ったら、ワーンという感じの、大きな揺れがきました。ちょっと避難してみるか、みたいな軽い気持ちで高台のほうに上ったんです。それで下を見てみたら、さっきまでいたところまで、もう波が来ていて。「え、早い!」ってなって、誰かが「ここまで津波が来るんじゃないか」って言ったんです。それでパニックになって、みんな転びながら必死でずっと上ったんですけど、上も火が回ってきていて…なんとか体育館に避難できました。幸いなことに家族は全員無事で、1,2週間で全員と顔を合わせることができました。

海の近くにあった自宅は流出してしまったので内陸に避難したりしながら、7月から仮設住宅に入りました。仮設は狭くて。3部屋あったんですけど、1番多いときで家族7人で住んでいたので、物も積み上がっていて机も物置きになってるし、テレビもすぐ近くにあるし、勉強するには難しい感じでした。でも狭いからこそ、家族の距離が近いのはよかったです。

大槌臨学舎に通い始めたきっかけはなんでしたか?

中学3年になる春だったと思います。学校からチラシをもらって、最初は「友だちも通うし、テスト前だけでも勉強しようかな」という軽い気持ちで行ってみたんですけど、通い始めてみたら、授業がすごく面白くて!

震災後はじめての夏休みで、臨学舎がなかったら本当に勉強していなかったと思います。スタッフの皆さんが「一緒に勉強するぞー」「明日もまた来てね」って、毎日声をかけてくれたこともすごく大きかったですね。

2011年当時 大槌臨学舎に通い始めた頃の桜子さん

毎日の悩みも進路も、
スタッフの人が親身に話を聞いてくれたから今の私がいる。

高校に進学後も、毎日のように大槌臨学舎に足を運んでいたそうですね。

そうなんです。吹奏楽部だったんですが、顧問の先生に「赤点を取ったら大会に出られないよ」と言われて。それでテスト前にがんばって臨学舎に通って勉強をしたら、学年で2位になって。自分でもびっくりしました!そうすると今度はその順位を維持するためにがんばらざるを得なくなって!でも毎日臨学舎に行って、勉強してテストも頑張っていたら、自分に自信がつきました。

あとは大変なことがあった時って、誰かにそれを話したいじゃないですか。臨学舎に行くと、いつも色々なスタッフの方がいて、みんな話を聞いてくれたんです。何を言っても受け止めてくれて。部活でトラブルがあって苦しいときに「強がりすぎなくていいんだよ」って言ってもらって、泣いてしまったこともありました。わーって泣いて、ちょっと楽になって。

学校の人じゃないから、何でも言えて。臨学舎は、すごく「話す場所」だったんです。私が今こんなに明るい性格なのも、たぶんあの時たくさん話を聞いてもらった経験があるからだと思います。

今は東京の大学で、国際学部に通いながら観光や街づくりを学んでいるんですよね。なぜその進路を選んだんですか? 

高校の時に、吹奏楽部の遠征が年に10回くらいあったんです。全国各地を巡って、遠征先で観光したり、地元の方と交流したりしたんですけど、本当にそれがすごく楽しくて!旅行が好きになって、今度はそれをつくる人になれたらいいなと思ったので、観光について学びたいと思いました。

あと、臨学舎でSkypeを使ってフィリピンの先生と話す英会話の授業を受講したり、海外の方に英語で大槌町や自分のことについて発表する機会があったので、「英語力を身につけたい、もっと伝えられるようになりたい」と思ったのも大きかったです。

実は、はじめは、県内の大学に進学しようって思っていたんですよ。特に理由はなかったんですが、本当になんとなく…でも臨学舎のスタッフの方に、大学で何を学びたいと思っているのかとか、色々聞かれた時に、全然考えられていなかったことに気が付いて。

そこでスイッチが入って、自分は何に関心があるのかとか、どんな大学があるのかとか、すっごく考えました。おかげで自分の学びたいことが学べて、働きながら通うこともできる、今の大学を見つけることができました。

進路選択のきっかけの1つとなったskypeを使った英会話授業の様子

大槌臨学舎は「こんな人になりたい」という
憧れが見つかる場所

いま振り返ってみて、大槌臨学舎はどんな場所でしたか?

「こんな人になりたい、という憧れが見つかる場所」かな・・・

ただ勉強をするだけの場所じゃなくて、色んな人と関わることができて、やりたいことが見つかる場所だと思います。私だけじゃなくて、みんな臨学舎で憧れの人が見つかるんです。「この人みたいになりたい」っていう人が見つかって、私もこれしたいなってなって、どんどんやりたいことが明確になっていく感じです。

震災がなければ、大切なものはなにも失うことはなかったし、こんなにつらい思いをすることはなかったけど。でも、震災があって大槌町に臨学舎ができて、支援してくれる方々がいたから、大切なものを得ることができたんだと思います。

今は、大槌臨学舎に妹さんと弟さんも通ってくれていますね。

妹は高校1年生なのですが、中学時代、私と同じく吹奏楽部の部長と生徒会長をつとめながら、勉強もすごくがんばっていて、テストでは学年一位を維持していました。毎日、本当に忙しそうでしたが「臨学舎があったから両立できたと思う」と話していました。そして、元気いっぱいな小学生の弟も通っています!

おかげさまで、2017年7月に新しい家もできて、約6年住んだ仮設住宅からは引っ越したのですが、家だけだとひとりで勉強して、人と関わる機会が少なくなるじゃないですか。だから2人には、これからも臨学舎に通っていろんな人と関わって、憧れをみつけてほしいなと思ってます。

世界中の人に、
大槌町の魅力を伝えられるようになりたい。

最後にこれからの目標を聞いてもいいですか?

今年の夏から、英語を本格的に身につけるためイギリスに7ヶ月留学をします!英語の他にも手話も勉強していて、ゆくゆくは世界中の様々な言語を使う人に大槌での経験や町の魅力を伝えられる人、そして「桜子さんの話を聞いて大槌町が好きになった」、と言ってもらえるような存在になれたらと思っています。

留学後のことを聞くと、「釜石でのラグビーワールドカップでの通訳ボランティア、地元のホテルでのインターンシップが決まっているんです!」と、目を輝かせて話してくれた。「大槌町のことを世界中の人に伝えたい」、目標に向けて前に進む彼女の歩みをまた、聞かせてもらいたい。

 

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KATARIBAMagazine編集部が担当した記事です。

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